孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「警察24時」に出演した群馬県警の警察官 ネットカフェで女性に強制わいせつで逮捕 過去にも撮影中に死者が、これ以上「警察24時」を放送するべきではない

5月2日埼玉県本庄市インターネットカフェで、高崎北署の刑事課係長の篠宮嘉一が、強制わいせつの疑いで現行犯逮捕された。篠宮嘉一は、インターネットで知り合った40代の女性を自分の車に乗せて、ネットカフェに行き、体を触るなどのわいせつな行為をした。驚くべきことに、篠宮嘉一は、昨年放送された、テレビ朝日系列の「列島警察捜査網」に出演していた。篠宮嘉一の高校時代のエピソードがある。高校入学初日のホームルームで、篠宮嘉一は、「エロ本とエロビデオが大好きです。いいのを持っていたら、貸してください」と自己紹介したそうである。高校卒業後、一般企業に就職したが、警察官の夢をあきらめきれず、試験を受けて、群馬県警に採用された。高校の初めてのホームルームで、「エロ本とエロビデオが好きです。貸してください」などと常識のある人間であれば、決してそのような発言などしないだろう。その頃から、犯罪を犯す兆候があったということだ。「警察24時」という番組は、非常に人気がある。テレビ局は、視聴率が稼げるゆえに、制作する。悪い奴と対峙する、正義感の強い警察官を描いているが、疑問符を付けたくなる。現実の警察官は、そんなに格好の良いものではない。「弱気を助け強気を挫く」るのではなく、その真逆で、「強気を助け弱気を挫く」、つまり警察官は、強い者にへつらい、弱い者に強いだけであるということだ。「警察24時」を巡っては、悲しい事件が発生している。2013年に鹿児島市天文館で、酔っぱらっていた男性会社員が、運転代行の運転手とけんかになっているとの通報があり、警察官10人が駆け付けた。男性会社員は、5人の警察官に、うつ伏せに押さえ込まれて、死亡した。会社員の両親は、警察官を特別公務員陵虐致死罪で告訴した。しかし、37歳の男性巡査部長と34歳の男性巡査は、業務上過失致死で書類送検という軽すぎる処分。何と、男性が、警察官に押さえ込まれて死亡する様子をTBSの「警察24時」が撮影していたことが判明した。男性は、亡くなる直前に、「痛い」「死ぬ」などと叫んでいたが、それでも5人の警察官の制圧は止むことはなかった。目撃した女性は、「あんまり押え過ぎないで、息ができなくなるかもしれない」と警察官に訴えたという。とても人間のすることではない。鬼畜の所業にもかかわらず、警察官たちは、軽い罪状にしか問われていない。こうした警察官の一般市民への人権侵害が後を絶たない。国家の安寧秩序を維持するためなら、違法な有形力の行使が認められるという、裁判所のお墨付きがあるかのようだ。TBSは、何ら反省するどころか、いまだに「警察24時」を制作し続けている。警察24時を見て、警察に拍手喝采を送っている人たちは、どんな神経をしているのだろうか。亡くなった会社員とその家族の無念は、察するに余りある。警察が、正義の実行機関と国民に誤った認識を植え付ける「警察24時」を今すぐに放送禁止にするべきだ。

ウトロ地区を放火するヘイトクライム 犯人はごく普通の22歳の青年 ヤフーコメントに感化されネット右翼になっての凶行

2021年8月30日に京都府宇治市のウトロ地区の空き家に火をつけて、周辺の住宅を含め計7棟を半焼させたとして、有本匠吾容疑者が逮捕された。有本匠吾容疑者には余罪があった。2021年に名古屋にある在日韓民国国民団施設と韓国学校に火をつけた、建造物損壊罪などの容疑。そして、5日後の7月7日の奈良県大和高田市にある市民団体の建物への放火未遂容疑。いずれも、不起訴になっている。有本匠吾容疑者は、排外的な団体に所属していない、22歳の若者である。和歌山県の出身で、専門学校を卒業して、精神科病院に勤務するが、職場を転々としている。ネット上では、有本匠吾容疑者の顔が流出しているが、とても犯罪を犯すようには見えない。動機は、在日コリアンに「在日特権などの特別優遇がある」などのネット上のデマを信じるようになったことである。今回の事件でも、ウトロ地区が、特別に優遇されていると信じ込み、犯行に着手したと供述している。有本匠吾容疑者は、「ヤフーニュース」のコメント欄で様々な情報を入手するようになった。「無料ニュースを読めるヤフーを見ているとが多いので、コメント欄も目に入りやすかった。投稿には、反応が多いし、コメントに対する賛否評価も見られるので、ある意味偏りのない日本人の反応を知ることができる場だと思っていました」と語っている。どうしてネット右翼は、過激な言動を取るのだろうか。自分たちの思想が正義だと確信している所が、非常に質が悪い。ネット右翼は、社会的階層に関係がなく偏在している。無職でオタクで、誰れにも相手にされないから、陰謀論にはまってしまうという一般的なイメージが定着しているが、大きな間違いだと思う。一流企業で働いている、地域でそれなりの社会的信用があるネット右翼もかなりの数存在するだろう。有本匠吾容疑者の場合、どこかいびつな人間性を感じてならない。専門学校を卒業後、精神科病院に勤務したが、職を転々としている。精神科病院において、どのような職種で働いていたのだろうか。現時点では、分かっていない。精神科病院で患者を虐待するなどの事件が相次いでいることを考えると、そうしたことと無縁ではないと思う。ネット右翼の犯罪に対しては、厳重に処すべきである。

 

小川淳也「なぜ君は総理大臣になれないのか」を高校教師が授業中に見せる 自ら主役を務めた映画を使う選挙活動は大いに疑問を感じる

小川淳也氏は、「なぜ君は総理大臣になれないのか」というドキュメンタリ―で一躍有名になった。2021年の選挙において、香川1区では、平井卓也氏を破り当選した。今回の選挙の勝因は、「なぜ君は総理大臣になれないのか」が世間に注目されたことに尽きるだろう。平井卓也氏は、地元の名士で、祖父、父とも、大臣を務めたことがあるという、サラブレッドである。小川純也氏は、「高松のパーマ屋の息子」と庶民派を気取っているが、東京大学を卒業し、自治省に入省した、エリートである。この辺に小川純也氏のあざとさを感じてならない。庶民派を気取って、好印象を与えようとするのは、底が浅い行為である。「なぜ君は総理大臣になれないのか」を巡ってある問題が生じたが、あまり話題にならなかった。高松市内の県立高校の30代の教諭が、7月から9月にかけて、授業中に、「なぜ君は総理大臣になれないのか」を3年生の世界史の授業で見せていたことが判明した。県教委は、教育基本法が定める政治的中立性を逸脱すると不適切な教材に当たるとし、保護者説明会を開き、直接謝罪するなど異例の対応を取った。県教委によると、「なぜ君は総理大臣になれないのか」を世界史の授業で、3年生の2クラス約70人に見せたという。世界史の授業で、「なぜ君は総理大臣になれないのか」を見せる必要があるのか。公私混同も甚だしい。リベラル派は、小川純也氏を高く評価するが、私は、好きになれない。どういう経緯で映画を作るようになったかは知らないが、自分が主役のドキュメンタリーを知り合いに作らせるという行為そのものが、政治家としてふさわしいものとは言い難い。自己愛の強い、ナルシストなのだろう。また、小川淳也氏は、家族をメデイアに露出させることが大変好きなようだ。朝日新聞の政治家の家族たちという連載の中で、妻と25歳と23歳の娘が写真入りで出てきて、小川淳也の事を褒めちぎっている。企画した朝日新聞も、とうとうここまで来たかという凋落ぶり。馬鹿馬鹿しくて物も言えない。いつから政治家は、芸能人になったのだろうか。

働けない 働かない おじさんは社会のお荷物なのか? 不寛容な社会 昔からそんな人たちは一定程度存在した

私は、今年で41歳になる中高年のひきこもりであるが、働く気持ちはあるが、ハローワークに行く気がしない。何故なら、ハロワークに行っても、自分の願う仕事がなく、不本意な仕事しかないからだ。「仕事を選んでる御身分か、お前は」という反論が返ってくるのは、承知であるが、「自分がしたくない仕事を無理してまで、する必要はない」と思っている。高齢化したひきこもりに対して、行政の支援は、「障害者手帳を交付させて、障害者の作業所で働かす」あるいは、「生活保護を受給させて、自立への一歩を当事者に踏み出させる」という、ありきたりなことしかなされていない。長期間、社会との接触を断った、「ひきこもり」が、普通の就労が出来る訳はないというのは、世間の常識であるが、ひきこもり支援者にも、そうした考えが共有されていることに関して、私は、違和感を感じてならない。ひきこもりと言っても、三者三様であり、中には、高学歴で、非常に優秀な者もいる。それを、他者が、ひきこもり当事者の意思を無視して、不本意な就労を押し付けることは絶対許されない。高齢化したひきこもり当事者に病名を付けることが、常識となっている。発達障害、それに続く、自閉症スペクトラム障害発達障害ブームは、一時期より鎮静化したが、いまだに「発達障害」が濫用されている。まず、知能テストを受けさせる。そうすると、動作性IQと言語性IQに大きな点数差があれば、発達に問題がありとして、発達障害と診断されてしまう。知能テストそのものに問題があるのに、これでは、誰がやっても、発達障害と診断されてしまう可能性が極めて高い。そもそも、発達障害は、「自閉症」に起因した病気である。「自閉症」は、全く周囲とのコミュニケーションが取れず、知能も低い。ひきこもりの中には、コミュ障と呼ばれる人たちも少なからずいるだろうが、精神疾患とまでは呼べない。過剰なコミュニ―ケーションが求められる社会そのものが、異常なのではないかと思う。統合失調症という診断も、精神科医の恣意的な解釈がなされて非常に危険だ。妄想や幻覚がない、「青年期における、起こりうる症状」を無理矢理、統合失調症の破瓜型と診断してしまう精神科医があまりにも多い。青年期における、「人生の悩みで、立ち往生して、ひきこもったこと」を精神病の一つとして、カテゴライズするのは、精神医療が「ひきこもり」という現象に無理解、無知によるものでしかないだろう。人格障害も、ひきこもりに対して付けられやすい病名である。ひきこもり者のある部分だけを拡大解釈して、「人格の障害」と診断するのは、ひきこもりを冒瀆する以外の何物でもない。何が何でも、ひきこもりを「精神の病気」にしたい支援現場の悪意が見て取れる。かつて村落共同体において、働かない人は、ある一定程度存在した。差別されながらも、不思議と共同体の中で受容されている面があった。おそらく、日本が貧しくても、人々の心が寛容であったからである。働かない、働けない人たちを、不逞の輩と見做す風潮が、近年ますます強くなってきている。働けない人は、今の即戦力を求める企業社会にとって不必要な存在でしかない。せめて、働けない人を白眼視しないで、ひとりの人間として、受け入れる社会になることを願うばかりだ。

岐阜 御嵩町長襲撃事件 産廃の闇 裏には反社会勢力の存在 暴力にも屈しない柳川喜郎元町長の気骨

1996年10月30日岐阜県可児郡御嵩町で、当時の御嵩町長である柳川喜郎さんが、何者かに襲撃された。柳川喜郎さんは、NHKの元記者であったが、1995年に立候補して、御嵩町長に当選した。当時、産業廃棄物処理場の建設を巡って、反対派と賛成派が争っていた。柳川喜郎さんは、町長就任後に、産業廃棄物処理場の計画を止めることを決意した。その直後に周辺で異変が生じ始めた。議場に、戦闘服を着た不審な男が、ヤジを飛ばしたり、怪文書がばらまかれるようになった。そして事件直前には、柳川喜郎さん宅には、盗聴器が仕掛けられて、11人が逮捕された。盗聴器を仕掛けたグループや寿和グループとの関連が疑われたが、岐阜県警は、「事件につながる証拠を見つけられない」と発表した。盗聴犯人と関係している、寿和工業に強制捜査が行われていないなどの岐阜県警の捜査に疑問を持った柳川喜郎さんは、質問状を提出した。しかし、岐阜県警は、「寿和工業への強制捜査は、捜査上の必要性などを考慮のうえ行わなかった」と説明するにとどめた。逮捕された男らは、柳川喜郎町長のスキャンダルを探すために、盗聴器を仕掛けたと主張した。また、寿和工業から数千万円を受け取っている事実まで発覚している。寿和工業と犯人グループが関係していることは、明らかなのに、岐阜県警は、敢えて捜査せずに、真相をうやむやにしたかったとしか思えない。「テロと産廃 御嵩町騒動の顛末とその波紋」杉本裕明という本は、この事件の真相についてかなり詳細に言及している名著である。首長が、襲撃される事件で有名なのは長崎県である。1990年1月18日に本島等町長が、右翼団体幹部に襲撃された。本島町長は、2年前に、議会で、「昭和天皇には戦争責任がある」と発言した。また2007年には、伊藤一長山口組系組員に襲撃されて、死亡した。こうしたテロは、絶対許されるものではない。柳川喜郎町長は、襲撃さて後も、職務に専念し、辞職後は、産廃処分問題の現場に行き、自らの体験談を語られている。柳川喜郎町長を襲撃した黒幕は、分かっているにもかかわらず、今ものうのうと生きているのはあまりにも理不尽である。

「ソープへ行け」北方謙三の人生相談は今の時代に通用するか? 非モテ男子に適切なアドバイスする良き理解者不在の時代

かつて、作家の北方謙三が、週刊誌「ホットドッグプレス」の人生相談「試みの地平線」で若き男子たちの悩みに答えるというコーナーがあった。私は、1981年生まれなので、リアルタイムでその雑誌を読んだことがない。北方謙三といえば、ハードボイルド作家として有名である。豪放磊落なイメージは、作品をアピールする自己演出的な所が感じられてならない。喧嘩が強い肉体派を豪語するが、北方謙三が、実践でどのくらい強いかは全く分からない。人生相談の中で北方謙三が発した「ソープへ行け」という言葉が、格言のように若き男子の間で共有された。「ソープ」というのは、今は死語であるが、「風俗」のことである。うじうじ、くよくよ悩むのなら、「ソープ」に行って、「気持ちをすっきりしてこい」というマッチョ的な発想は、いかにも団塊の世代のものである。現代において、この種の発言をすれば、フェミニストたちから「女性の人権」を侵害したとして、糾弾されることは目に見えている。北方謙三の人生相談が人気を博したのは、性的なことで悩む若き男子たちに、綺麗ごとを排して、真摯に答えたからだと思う。時代が変わって、現代の若き男子たちも昔よりも、はるかに深刻に悩んでいることは間違いないだろう。恋愛や結婚ができない、所謂「非モテ」問題について様々な形で論じられている。しかし、どれを取っても、上っ面ばかりで、本質的な問題に触れようとしない。恋愛できない男は、「風俗店で、欲望を処理するということ」が、暗黙の了解となっている。これは、悲しいことだと私は、思う。女子と付き合えないから、お金でその種の店に通う。個人の自由であるが、そこには、「本当の愛情」によって、性的な行為がなされていない。エロス的な関係を構築することによって、性的行為にまで発展させるのが、恋愛だと、私は考えている。風俗店などで、働いている女子の中には、「ホスト」通いのために、短時間で、高額な金銭を稼ぐことが出来るという理由だけで、働いている手合いが多い。写真と実際のサービスをする女子が、全然違っている。これは、写真を加工したものである。文句を言うものなら、怖いお兄さんが出てくるだけだ。何故なら、風俗店は、暴力団の息がかかっているからである。結局は、風俗に行くことは、出鱈目な女子、暴力団に搾取されるに過ぎない。大半の男子が、非モテだと私は考えている。そうした時代に、北方謙三の「ソープへ行け」は何の意味もなさないだろう。もっと、違った形でアドバイスできる人が必要とされているが、それに答えられるほど、知性、感受性、やさしさを兼ね備えた人物が不在なのは残念だ。

セカイノオワリ 藤崎彩織 直木賞候補まで選ばれるが、言葉が軽い 深みのある重厚な文学が受け入れられない時代なのか?

セカイノオワリというグループがある。変わった名前であるが、由来は、リーダーが、ADHD閉鎖病棟への入院、医師になるために勉強した記憶が、薬の副作用で消えるなど辛い経験をして、「自分の世界が終わった」と思っていたが、残されていたのが今の仲間であったので、「セカイノオワリ」と付けたらしい。ちょっと、精神を病んでましたというのをアピールする所がイマドキで、私は、好きになれない。世の中には、もっと精神を病んでいる人は多いはずで、このバンドのリーダーの経験などは、取るに足らない程度だと思う。メンバーの藤崎彩織は、歌手の傍ら作家活動をして、2017年には直木賞候補まで選ばれた。今年8月に出版したエッセイ集「ねじねじ録」は、仕事、結婚出産、育児に悩む有様を描き、同世代の女性から支持された。この「ねじねじ」は、自分の悩みが、「くよくよ」ではなく、「ねじねじ」という発想に基づいている。私には、中尾彬の「ねじねじ」しか浮かばない。本人は、「悩むことにはかけては、エキスパートかと思うくらい、いろいろなことにいつも悩んでいます。何か引っかかていて、落ち着かない気分でいると、一つ一つ考えるんです。」と本人は語っている。「悩むことには、エキスパート」という発言そのものが思い上がり、独善的でしかない。直木賞候補に選ばれた作品もさして、凄い完成度とは言えない。もっと優れた作家が、世の中に存在しているが世間に注目されていないだけである。直木賞選考委員のセンスそのものが問われる気がしてならない。直木賞芥川賞に選ばれていない方が優秀な作家であるという噂がある。高橋源一郎村上春樹吉村昭といった作家たちは、いずれも芥川賞を取っていない。吉村昭氏などは、非常に深みのある作品を書く。壮絶な闘病生活や人生の挫折が、創作の原動力になって、読む人の心を打つのだと思う。それに比べて、「セカイノオワリ」の藤崎彩織の作品などは、足元にも及ばないだろう。軽いことが、良い時代では、必然的に文学の在り方もそうなるのだろう。