孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「社会の役に立たない人間」であるが、ある一つの分野においては天才的に精通している 「無用の用」のような存在になりたいと思う ヘンリー・ダーガーのようになれないが

「無用の用」という言葉があるが、一般的に社会の役に立たない人が別の意味で有用な役割を果たしているという漠然としたものである。ただ、この言葉は、ある特殊な才能を持った人を褒めたたえる時に使うことがある。例えば、社会に適応できなかったり、身の…

「杉田水脈の問題発言」で売名行為をした 正義面する本屋 人を見かけで判断して「権力者」にすり寄るトンデモナイ手合い 日本には何時からこのような「似非左翼」が蔓延し始めたのだろうか?本当の左翼に対して失礼だ

2018年に、杉田水脈が、「LGBTには生産性がない」という趣旨の問題発言をして、社会的に話題となった。そもそも、杉田水脈や極右の面々が主張していること自体馬鹿げたことで、いちいち反応していたら相手の術中に陥るだけである。この杉田水脈発言で一番得…

子供の頃から誰がも「怖がらないもの」を不必要に「怖がった」私 「感受性」の問題なのか「サイコパス」なのか いづれにしても社会で「生きづらい」メンタリティーを持っていた

私のこの社会に適応できない性格は、幼児の頃から形成されたもので、もうどうすることも出来ないと最近思うようになった。「3歳神話説」は、精神医学においては、間違った考え方であり、ただの俗説であるという学説が主流であるが、私は、あながち汎用性のあ…

「ボクシング」でこの世を喩えるなら 数秒でK0できる「実力」を持ちながら リングに上がる機会を奪われた才能の持ち主もいるように思えてならない

今の社会を見ていると、それほど実力も才能もないような人間が小回りが利き、実力者にゴマをすって、幅を利かしているように思えてならない。一方、本当に才能も実力もある人間が、不遇をかこっているのが現実ではないだろうか。「ボクシング」で喩えれば、…

「アメトーーク」 吉本興業NSC11期生 中川家、ケンコバ、陣内智則、野々村友紀子ら 疾走する青春の日々を同期で共に生きた 熱すぎる奴らの姿を見て不覚にも感動してしまった

昨日の「アメトーーク」が非常に見応えのあるものであった。最近の「アメトーーク」は、家電大好き芸人などくだらない企画ばかりで嫌気がさしていた。しかし、昨日の「アメトーーク」は、デビューから30年で吉本興業NSC11期生の同期の芸人である、中川家、陣…

思い描いていた「理想の自分」と「現実の今の自分」のギャップを受け入れられない 普通は「折り合いを付けて生きていく」のが大人であるがそれが出来ない私

私は、42歳になる「現実の自分」をいまだ直視できないで懊悩する日々が続いている。振り返れば、思春期の頃は、自分というものが「何物にでも」なれると思っていた。進学校に通っていて、勉強も出来て、優等生であったからである。しかし、あれから20余年…

「叫びたし寒満月の割れるほど」 福岡事件 「警察」がでっちあげた無実の罪で死刑を執行された西武雄 石井健治郎を救うために すべてを捧げた僧侶の古川泰龍の無私の精神

昭和22年5月20日福岡県で、中国人と日本人の2人の男が殺害された所謂「福岡事件」。この事件は、軍服をめぐった「闇取引」が絡んだもので、警察当局は、西武雄を主犯に、石井健治郎を実行犯に、その他の男を含めて計7人を逮捕した。警察が、作った筋書きは、…

「人間は自分より不幸な人」を見つけて自己満足あるいは、安心する傾向がある 私はそういう者に絶対になりたくないと思う

人間は、自分より不幸な境遇にいる人を見て自己満足あるいは、安心する生き物であると思う。テレビや本などで、先天的な難病を抱えて生まれてきた障害のある方や余命いくばくもない病気で苦しんでいる人たちを見て、心密かに優越感を抱くものである。「自分…

「過酷な人生」を与えられたおかげで 幸せで鈍感な人間にはない「微分的」な「想像力」が身に付いたが 漆黒の闇の中でもがき続ける「二重苦」を背負わされた

私の人生はあまりにも過酷であると思う。何をやっても、上手くいかない。順調良く事が運んでいたさなかに、予期せぬアクシデントに見舞われる。自分のいたらなさや自己の脆弱性を責任転嫁するつもりは毛頭ない。以前、私がスピリチャルなことや「占い」には…

長崎県警 W不倫 47歳女性警部と29歳新聞記者 バレそうになると「証拠」を隠滅し携帯を他人名義で契約 警察官の下半身は今日も暴走する

2021年の3月に長崎県警の女性警部47歳が長崎新聞の記者に捜査情報を漏らしたとして、地方公務員法違反で書類送検された。女性警部は、停職6ヶ月の懲戒処分を受けたが、依願退職した。女性警部は、2020年2月から10回にわたって、男性記者に捜査情報を提供した…

「人生というドラマ」では誰もが主役になれない テレビドラマに数秒しか映らない役者さんを見て しかし、どん底の中でも「演じ続ける」ことに意味があると思う 

私は、映画やテレビドラマが好きで、趣味の域を超えている。かつては、映画の世界にあこがれたが、夢を断念せざるを得なかった苦い思い出がある。私のような自己主張の強い人間は、「映画業界」には絶対向いていないだろう。しかし、かつてのように日本映画…

「露悪的」で「変な人」を装っている私 それは「繊細さ」と「傷付きやすい性格」の裏返しであり 人間心理の「防禦反応」でもあると思う

私は、どうも浮世離れした人、あるいは世間知らずの「おめでたい人」と周囲から勘違いされる傾向がある。しかし、実際の私は、真逆であり世間の人が思っているような人間ではないと断言できる。 私自身の生活史を振り返ってみると、非常に複雑な性格である。…

一見して「野暮」で「ダサイ」男に見えるが 知性と器の大きい「本物」の男になりたい 今の世の中は「見てくれ」だけのくだらない男があまりにも多い

どうも最近の若い男たちを見ていると、関西弁で、「ええかっこしい」の男ばかりになった気がしてならない。所謂、「ハイスペック」と呼ばれる男子も、私から見ると、中身のないくだらない男でしかない。これは、ひがみ根性で言っている訳ではない。一流企業…

川田裕美の大学ゼミの教授 そして鈴木貫太郎の子孫である足立基浩 吉本興業に所属してテレビに出たり「ミーハー」なだけで「学究の徒」にあるまじき振る舞い

川田裕美が和歌山大学の経済学部に在籍していた時のゼミの教授は、足立基浩という。足立基浩は、鈴木貫太郎の子孫である。かつては、地元のメディアに出演していた。しかし今は、活躍の場を広げ、吉本興業に所属して、関西のテレビ局にまで出演するようにな…

人生は「いくつになっても青春」とは言い難いが 「虚構」に夢を抱き続ける「馬鹿」になりたいと思う たとえ「敗北」への道であっても

私は、今年42歳になる。江戸時代の武士の世界では、家督を長兄に譲り、自分は、楽隠居という年齢である。もう「立派な中年」にもかかわらず、私には、その実感が全くない。おそらく、精神年齢が低いのか、成熟した「一人前」の大人になり切れていないのだろ…

「石橋を叩いて渡る」ほど気の弱い、あるいは神経症者の方が時には 「勝負」に勝つこともあると思う ただその度合いが難しい

「修羅場の人間学」、春日原浩という本を読んだ。この本は、作家阿佐田哲也が残した言葉を長年付き合いがあった編集者の春日原浩氏が厳選して、エピソードとともに、解説したものである。作家阿佐田哲也は、麻雀小説で有名であるが、今の若い人はほとんど知…

野球で有名な智辯和歌山高校の異常な校風 今はどうか知らないことを念頭に書く 20年以上前 某国語教師は体罰の領域を超えた暴力を振るっていたにもかかわらず罰せられなかった その教師を人情味のある人間として記事に書く「朝日新聞」の良識を疑う

今は、そういう事が行われていないだろうということを念頭にこの記事を書く。先日、朝日新聞を見ていると、智弁和歌山高校の教師たちが、共通テストで生徒たちにエールを送るという記事で某国語教師の名前を目にした。この教師、私が通っていた20年以上前…

濁世(汚い世の中)で折り合いをつけて生きることが本当に難しい 清濁併せ呑むことができれば大人物になれるが、私には程遠い

濁世という仏教用語が頭から離れない。確か、ラジオか何かで、五木寛之が「濁世」という言葉の意味を説明していたのだが。五木寛之は、仏教的なことを語るのが好きである。そうした関連の書籍も数多く執筆していて、それなりに「仏教」に関心があるのだろう…

今井瑠々「立憲民主党」から「自民党」に鞍替え 「立憲民主党」に魅力がないとうことが問題の争点ではなく 人として許されざる「背徳」の振る舞いである

2021年衆院選挙で、岐阜5区から「立憲民主党」から、全国最年少の25歳で立候補した今井瑠々が、13日岐阜市内で会見を開き、鞍替えした「自民党」で4月の岐阜県議選に立候補することを正式に表明した。今井瑠々は、「政策を実現していくには、自民…

「怒ることが」生きる原動力になっている まるで「ぼやき漫才」のごとく 怒ることができなくなった時に「私はもう終わりかなぁ」と思う

何時の頃からか、笑うことを忘れてしまった。その代わりに、「怒る」ことが私の生活の中で根付いてしまった気がしてならない。テレビを見ていても、くだらない内容に「突っ込み」を入れ、街の中で見かける、非常識な人間に対して腹が立ち、あるいはもっとレ…

全身から炎が出るかのごとく 情念が先行して周囲と軋轢を起こしてしまう私 この性のようなものと一生付き合う覚悟のつもりである

私は小さい頃から、一つの事に集中すると、前屈姿勢になり、全身から炎が出るかのごとくその物事に入り込んでしまう癖がある。小さい頃の思い出として、いくつか挙げられるのは、まず、「パズル」が得意であったこと。パズルのピースを埋めていき、完成させ…

無実なのに強姦罪ならびに強姦未遂容疑で犯人にでっち上げられ刑務所に服役 出所後真犯人が表れて身の潔白が証明された 氷見事件 富山県警の捜査は違法のオンパレード

実際にやってもいないのに犯人に仕立てあがられて、刑務所に服役後に、真犯人が表れて、身の潔白が証明されるという事件が実際に発生している。それは、氷見事件という。富山県氷見市で、2002年4月8日にタクシー運転手であった柳原浩さんが、業務中に突然訪…

「変わらない」ことが一流の人間の証であって 「成人式」などで「自分がイメチェンしたことを自慢する」あるいは、「いちびっている若者」は到底一流にはなれないと思う

成人式が各地で行われた。私は、成人式に行かなかったが、成人式での若者たちのやりとりは、そう昔も今もあまり変わっていないように思えてならない。どういう事かと言うと、自分が、子供の頃と違って、「イメージチェンジ」をしたことを互いに自慢しあう場…

「必殺仕事人」旧作に泥を塗ったとしか思えない 幼稚園のお遊戯以下の低レベル 必殺シリーズファンクラブ会員の私は怒りを通り越して情けない

昨日、必殺仕事人が放送された。録画して、見かけたが、オープニングのナレーションを聞いた段階で、チャンネルを早送りしてしまった。シナリオも酷いもので、「必殺シリーズ」特有の現代の社会問題を盛り込むという手法を真似たのかもしれないが、「コロナ…

「人の心は移ろいやすい」 京セラの稲盛和夫氏のように「ポジティブシンキング」にはなれず 猜疑心の強い私は、人を信用しない

「人の心は移ろいやすい」という言葉がある。「徒然草」に出てくるが、現代でも通用する普遍的な言葉だと思う。人間関係において、最初に出会った頃と同じように付き合い続けることができないこともある。それが、裏切りであったり、態度の豹変であったりす…

「幸せ不幸せ」は他人が決めることではない しかし明らかに「不幸な人生」もある 私は奈落の底に向かっているように思えてならない

人間の人生は、他人がとやかく言えるほど単純なものではない。テレビのドキュメンタリーなどを見ていると、作り手が、波乱万丈の人生を送った人間を取り上げる時に、答えは、視聴者の受け止め方にあるという手法を取ることが多い。難病で苦しんで、夭折した…

「キモイ」「ウザい」とサンドバックのように連打されても 「聞こえていない」「素知らぬ顔」をすることが「メンタル」を強くする一番の方法だと思う

心を病む人が多くなってきている。特に、教師が、うつ病や心の病で休職に追いやられること社会的に問題となっている。団塊の世代の退職によって、若手の教師を指導できなくなったこと。放課後のクラブ活動やするべきことが多いのにもかかわらず、残業代が支…

世間知らずの「お坊ちゃん」に見える私 洞察力のない人間が判断するものであって 本当は「複雑な性格」で一筋縄ではいかない

どうも、私は世間知らずの「お坊ちゃん」と勘違いされることが多い。人から見れば、お上品な家庭に育って、何一つ不自由なく育てられて、世間の裏を知らない能天気な男と思われている。しかし、私自身は、そう単純な世間知らずの「お坊ちゃん」ではないと確…

田原総一朗氏の 「だったらこの国から出て行け」発言は何ら問題ない たかまつなな 上っ面だけで「きれいごと」を主張する そして、似非「左翼的」若者の「パフォーマンス」が蔓延している

新年の「朝まで生テレビ」で、田原総一朗氏が、たかまつななに「だったら、この国から出て行け」発言が、ネット上で話題になった。誰も彼もが、田原総一朗氏を「老害」呼ばわりし、たかまつななを擁護する意見が主であった。しかし、私は、ひねくれ者なのか…

もしも世の中が「新喜劇の舞台」であれば 皆がひっくり返ると思う 私の「天然」のおかしさと個性の強さ それを武器に心強く生きていこうと思う

吉本新喜劇のお約束で、芸人が、ひっくり返るという「リアクション」がある。関西人であの「リアクション」を知らない人はいない。土曜日の午後に、吉本新喜劇を見るつもりがなくても、テレビのスイッチをそのままにしている家庭も多いだろう。私は、吉本新…