孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

非モテ

「モテないけど生きています」とうい本が出版された。非モテの当事者たちが、書いたらしいが、およそ読む気にはなれない。自分から非モテと世間に向けて何か主張するスタンスに胡散臭さを感じる。本当にに非モテの人間は、人知れず苦悩していて、申し訳なさそうに生きているのではないだろうか。これまでにも、非モテに関係する本が、少なからず存在する。本田徹の「電波男」、三浦展の、「非モテ男性受難の時代」、杉田俊介の「非モテの品格」などが、主に挙げられる。「電波男」は、ルサンチマンが炸裂して、面白いが、生身の女性と付き合うことをあきらめて、バーチャルなアニメのキャラクターを愛することに意味を求めるという著者の主張には、同意しかねた。三浦展氏の著書は、マーケティングが中心であるが、その数値の信憑性には、疑問を感じる。「非モテの品格」は、男らしさという抑圧から自由になるべきという発想は、フェミニズム支配下にあるもので、問題をすり換えている。杉田俊介氏は、既婚で、子供もおり、実質的には、非モテとは言えない。生涯未婚率の異常な増加についての有識者の見解は、表面的なものである。非正規雇用の増加によって、経済的に豊でないから結婚に踏み切れない。身の回りの世話をしてもらわなくても、生活必需品が、手に入りやすい便利な社会だから結婚にこだわる必要性がない。こういった原因が、男性の生きづらさを隠蔽している。女が、恋愛や結婚において男性を選ぶ選択肢は、顔の良し悪しのみといっても過言ではない。よく「やさしい人が好き」という嘘を耳にするが、やさしい人=顔の良い男であることを意味する。子供の頃から女から容姿を差別されてきた男の無念さ、悲しみ、絶望は、測り知れない。女の人権が、過剰まで擁護されるのに、男の人権は、蔑ろにされる。この男女の非対称性こそ問題視するべきではないのか。