孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

絶望男46歳、ニート、障がい者の人生・白井勝美

酒乱の父親の家庭内暴力、母親の新興宗教、いじめ、壮絶な人生と表現するのは、陳腐かもしれないが、著者の人生は、読者を圧倒させる。思えば、著者のような、中年男は、日本全国を探せばいくらでも存在するだろう。本書では、「ひきこもり」と「ニート」が、混同されて使用されている。著者の場合は、ひきこもりと呼んだ方が、適切である。モテない、キモイ、働けないと負の連鎖から逃れられず、虚空をさまようのが、ひきこもりだとすれば、あまりにも悲し過ぎる。ひきこもり当事者が、大手出版社から著作を発表するのは、極めて困難な状況にある。思いつくだけでも、勝山実「ひきこもりカレンダー」「安心ひきこもりライフ」上山和樹「ひきこもりだった僕から」ぐらいしか思いつかない。ひきこもりの実態を論じた本は、数多い。しかし、当事者が、自ら筆を執るケースは、少ない。余程、文才と出版社に売り込む行動力、あるいは、何らかのコネクションが、なければ不可能である。せいぜい、自費出版で、世に知られることなく終わってしまう。ただ、本書は「やらせ企画」のように思えてならない。著者は、「神保町小説アカデミー」に参加し、作家を志した。このアカデミーの代表理事を務める「NPOコトバノアトリエ」の理事なる人物いかにも胡散臭い。ひきこもり、不登校、といった経験を持つ人には、文章で、何かを表現したいという思いが生まれやすい。そういう純粋な人に漬け込んだのではないだろうか。巻末の雨宮処凛との対談で、「怒り」が文章を書くモチベーションと二人して共感しあっている。雨宮処凛は、社会的弱者に寄り添う振りをしながら、自分の名声を得てきた人間である。最近、ひきこもりを利用する悪知恵の働く手合いが、増加してきた。80・50問題では、三流ジャーナリスト。経済的な面では、ファイナンシャルプランナーという風に。ひきこもり当事者の尊厳を冒瀆することだけは、絶対に許されない。