孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

古川泰龍氏と福岡事件

戦後の冤罪事件の中で、福岡事件は、あまり知られていない。白鳥事件、財田川事件は、「疑わしきは被告の利益に」という判決によって、再審の門が開かれる契機を作った。しかし、この福岡事件には、隠されたドラマがある。事件は、昭和22年5月福岡市の路上で2人の男が、射殺された。戦後盛んに行われていた、闇取引をめぐってのいざこざによるものと思われた。中国人との闇取引を持ち掛けられた、西武雄死刑囚。彼は、芸能社を経営していたこともあり、親分肌の人間であった。弟分が、やくざの抗争に拳銃を入手するのに付き添うことが、自らの悲運の始まりであることに気付かなかった。拳銃入手をめぐって、見ず知らずの人間が手繰り寄せられ、この事件に関わるようになる。「誤殺」いう本の中で、僧侶である今井幹雄氏は、仏教的な因縁を指摘されているが、正鵠を射るものである。結果として拳銃の持ち主である、石井健治郎は、闇取引の場所で、拳銃を発砲する羽目になるが、意図的な犯行では、絶対ないだろう。被害者の1人が、中国人であったという政治的背景が、この裁判を誤った判決に導いた。単なる過失による傷害事件が、強盗殺人事件として扱われてしまった。教誨師として、死刑囚と日頃から接していた、古川泰龍氏は、彼らの無実を確信する。そして、雪冤のために自らの生活を投げ捨てて、托鉢に出る。仏の道を説きながら、世俗の欲ばかりの僧侶がほとんどなのに、古川泰龍氏の無私の行動は、胸を打つ。「復讐するは我にあり」のモデルである西口彰が、ニセ弁護士を名乗って古川泰龍氏の家に訪問した。そして、その嘘を見抜いたのは、娘のるり子さんであったというエピソードは、テレビ番組で紹介された。小学生の子供までもが、事件の犯人などに敏感になっていたことは、いかに古川泰龍氏の家族全員が、この雪冤に賭けていたことを証明する。西武雄死刑囚は、刑務所では、仏画と写経に励んだ。父親思いで、その父が亡くなった時、「叫びたし寒満月の割れるほど」と詠んだ。しかし、昭和50年に死刑執行されてしまう。一方の石井健治郎は、恩赦され、42年後に出所する。その際に身柄を引き受けたのも、古川泰龍氏である。2003年西武雄の遺族とともに再審請求をする。石井健治郎は死の直前まで、「西君は、やっていない」と言っていたそうである。国家権力から圧力を受けながらも、2人の無実を晴らすため、奔走した、古川泰龍氏という人間を決して忘れてはならないだろう。