孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

映画・鬼火・原田芳雄

俳優の原田芳雄が、亡くなって10年目になる。氏が、主演した映画の中で、あまり注目されていないが、隠れた名作がある。それは、1997年公開の「鬼火」である。監督は、望月六郎、原作は、山口組の顧問弁護士だった山之内幸夫。刑務所から出所した男が、惚れた女のために、再びやくざに復帰して、抗争に巻き込まれていくという筋書きは、使い古された感じがしないでもない。金子正次が命を懸けて演じた、「竜二」は、その金字塔的な作品だ。その後、長渕剛のテレビドラマ、「とんぼ」「しゃぼん玉」に受け継がれていく。しかし、この「鬼火」とうい映画は、それらと色合いを異にする。原田芳雄演じる国広という男が、限りなく本職のやくざに近い。やくざを演じると、俳優は、ありきたりな芝居をしてしまう。肩を怒らし、凄む、といった外面的なことに重きを置く。だから、安っぽいやくざ映画が、粗製乱造されるのだろう。刑務所から出てきて、堅気の仕事をするが、続かない。南方英二演じる印刷所の社長との面接で、履歴書に書かれた「大阪印刷所」のことについて尋ねられる。この大阪印刷所は、刑務所のことなのだが。おそらく、このやり取りは、脚本の森岡利行氏のアイデアではないかと思う。関西人ならではセンスが生かされている。また、忘れがたいのは、やくざ者に、脅され、拳銃を突き付けられるシーンだ。軽く反撃に出て、本当のやくざの凄みを見せつける原田芳雄の演技は、この映画の真骨頂とも言える。ヒロインを演じた片岡礼子も、デビュー間もないが、安定した演技を見せる。今度人を殺したら死刑になるのを承知で、国広は、惚れた女のために再び拳銃を取る。映画全編に流れる、ベニスの舟歌の悲しい旋律が、国広の前途を象徴するかのように、マッチしている。この「鬼火」を語るには多くのエピソードがある。北村一輝が、まだ有名になる前の芸名北村康で出演している。また、それまで、チンピラ役の多かった哀川翔が、脇役で、組幹部をシリアスに演じている点。望月六郎は、ピンク映画出身で、非常に鬼才と呼べる監督である。「極道記者」「恋極道」「新悲しきヒットマン」などいずれも、単なるやくざ映画の域を超え、人間ドラマを描くことに成功している。望月六郎監督のような逸材が、登用されないのは、日本映画界にとって大きな損失になるだろう。