孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

中島らも・心が雨漏りする日には

マルチな才能を持ちながらも、2004年に不慮の事故で亡くなった作家中島らも。その著作の中で、一番を選べと言われたら、「心が雨漏りする日には」青春文庫と即答するだろう。この本は、数ある著作の中で最も、中島らもの全てが、凝縮されているからだ。薬物依存、躁うつ病アルコール依存症など、自らの精神的な病をこれほど赤裸々に語った作品は、見あたらない。闘病記というものは、独善的で、ナルシスティックなものに陥りがちである。特に、精神的な不調を克服したものは、いかに自分が、苦しく、それを克服したかという点が、強調されていて、読者には、少々きつい。中島らもは、自らの苦悩を相対的に語り、笑いに変えていく。その手法は、私たち凡人では、足元にも及ばない。流石、プロの作家さんであり、天才であることを痛感させられる。本書の中で、最も印象に残った箇所は、初めて精神科を体験する描写である。診察室でブルブル震えている若い女性や、どういう事情なのか「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」と息の荒い老人を見る。町の中には病んでる人はいない。病院という位相の中にのみ、病人は隔離され存在している。そこに生まれる一種の連帯感のようなものに居心地の良さが感じられるのだ。関西人ならではの笑いと、中島らもの鋭い洞察力が光る文章だと思う。最近は、心の病気についての情報を得やすくなった。また、多くの精神科医が、専門用語を使わずに、平易な言葉で解説した本を出版している。玉石混交で、自分に相応しい本になかなか遭遇できない。精神科医は、専門的知識を持っていながら、「こころを病むことの本質」を理解していない。生物学的精神医学に傾斜しすぎて、人のこころを蔑ろにする精神科医ばかりになった。街にメンタルクリニックが、乱立して、精神科の敷居が、低くなったが、3分診療で、患者の話を全く聞かない。その結果、患者は、ドクターショッピングをせざる負えない。いったい、医学部教育で何を教えられているのだろうか。作家や芸術家の中には、明らかに、精神疾患を疑わせる人たちが存在する。パトグラフィーという学問が、いまだに関心を持たれている。創造と狂気は、切っても切り話せない関係にあるからだ。中島らもは、その一群に入るぐらいの不世出な作家であることは間違いないだろう。