孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

紀州のドンファン・マスコミは、警察の犬か?

須藤早貴容疑者が、逮捕されて一週間も経っていないのに、報道が、過熱しすぎている。これほど、単純で分かりやすい事件はない。それにも関わらず、あたかも、立件することが、難しい事件のように、歪曲する。何故ならば、警察が、十分な立証をを重ねて、捜査しているとういうことを印象づけるためだからだ。客観的に考えれば、事件発生から、3年も経過している。もし、警察が有能であれば、とっくに、逮捕し、事件を解決しているだろう。マスコミの、警察を過大評価する姿勢には、誰も疑問を感じないのだろうか。今回の事件で、どのメディア媒体もほぼ、同じ論調である。須藤早貴容疑者は、まだ、形式的には、犯人ではない。そのような段階で、容疑者のプライベートについて、あれこれ報道するのは、人権を無視したものである。特に、AⅤ女優であったことを殊更に強調するのは、いかがなものかと思う。日頃、そういった職業に従事している女性の人権について、擁護の姿勢を取っている。それが、この事件では、一転して、まるで、犯人であることを証明する、都合の良い、記号のように使われている。こうした報道は、明らかに矛盾したものである。最も許せない記事は、「警察庁が、和歌山に送り込んだ切り札官僚」というものである。この本部長は、東京大学法学部卒で、典型的なエリート警察官僚。就任時の言葉は、「悪い奴は、許せない」。おそらく、今度の事件で手柄を挙げて、出世コースを歩んでいくだろう。しかし、この「悪い奴は、許せない」という言葉、違和感を感じてしまう。警察官の犯罪は、目に余るものがある。新聞やテレビで、公表されるのは、氷山の一角である。大抵が、上層部によってもみ消されてしまう。身内の犯罪には、目をつぶり、犯罪を犯した人間だけを、悪い奴という思考回路は、典型的な警察一家の飯を食っている人間のものではないだろうか。また「和歌山県警vs須藤早貴容疑者の神経戦」は、すでに始まっているという記事も、おかしい。この須藤早貴容疑者は、政治家、財界人といった社会的地位のある人間ではない。そのような人間と大勝負しなければならないのは、警察の捜査力が、弱体化した証である。この事件で、ますます、メディアが、警察を礼賛して、国民は、洗脳されていくだろう。