孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ケーキの切れないのは非行少年だけなのか?

「ケーキの切れない非行少年」が、昨年ベストセラーになった。その著者の宮口幸治氏が、「どうしても頑張れない人たち」を出版した。どうも宮口氏の主張には、同意できない面があるように思えてならない。医療少年院の、法務技官を務めた経験を基に、知的障害と非行を強引に結び付けたその論調は、あまりにも飛躍がある。まず、「ケーキを等分に分ける」問題については、普通の社会生活を送っている大人でも案外、間違うのではないだろうか。360度という円の角度を頭に入っていれば、この問題、直ぐに回答できる。3つに分けなさいと言われたら、360÷3=120。120度の扇形が3つ。5つに分けなさいと言われたら、360÷5=72。72度の扇形が5つ。こうした初歩的な算数の概念を身に付けていないことは十分想定できる。大学全入時代に突入して、大学生の学力は、著しく低下している。数学的な思考がある一定水準に、満たしていないこと。何故ならば、ほとんどの私立大学では、数学が、受験科目にないからだ。こうした状況を鑑みると、非行少年だけを、特別視することに疑問を感じてならない。軽度知的障害者とwАISという知能検査だけで断定することは、極めて危険である。この知能検査、一般的に公表されていないが、検査をする側の都合の良いように作成されている。知能検査の結果、動作性知能と言語性知能に大きな乖離があれば、発達障害と診断する。人間の知能をそんなに単純化できるのだろうか。知能検査の問題を時代に応じて、柔軟に改めていく必要がある。犯罪を犯す少年の知能を問題視するよりも、生育歴に目を向けるべきである。大半の少年たちは、崩壊家庭に育ったとも言える。ネグレクト、家庭内暴力アルコール依存症で暴力を振るう父親など、不幸な環境が悲劇を生んだ。そうした少年が、社会的に復帰できるような教育が、今の医療少年院ではなされていない。むしろ虞犯少年を生み出すような、システムの負の面だけが目立って仕方がない。ひとりの人間として、関わる温かみのある人間がいないのではないだろうか。「スマホ脳」にしても、新潮新書は、非科学的で、話題になりやすい、題材を扱うのが好きなようだ。