孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

障害者のリアルとは何か

「わたしの身体はままならない」河出書房新社を読む。本書は、2019年に東京藝術大学が、全国八大学と提携し、障害のある当事者、社会的マイノリティの支援に取り組む組織や専門家を登壇者に招き、行われた際のそれぞれの発言を収録したものである。伊藤亜紗、熊谷晋一郎、坂爪真吾、野沢和弘といった、障害者問題で名の通った人が、専ら中心になっている。そのために、既視感があり、等身大の障害者の肉声が、あまり伝わってこない。熊谷晋一郎氏は、脳性麻痺という障害から、当事者研究とういう概念を提唱されている。医学モデルにとらわれるのではなく、社会的モデルを推奨していくことが、生きづらさを解消するという、氏の主張は、それなりに斬新ではある。「ナラティブ」が「スティグマ」に対抗し得ると言うが、容易なことではない。障害者の自分語りが、社会の偏見を突き動かすとういのは、理想的過ぎないだろうか。障害を個性とみなすとういうのは、一見して、耳障りが良く、ムーブメントとのように見なされ始めた。その最たるものが、テレビ番組「バリバラ」である。この番組が、許せないのは、「障害者のタブー」である、恋愛、セックスについて、踏み込んだと思いあがっていることだ。障害者の恋愛やセックスについて論じることは、タブー視されてきた。そのタブーを破ったことが、あたかも新たな障害者運動と勘違いしている。障害者のナイーブな部分に土足で踏み込んでおいて、全くの無神経さ。本書の坂爪真吾氏も、同じ過ちを犯している。坂爪真吾氏は、男性重度身体障害者に対する射精介助サービスを行うNPOを主宰している。東京大学を卒業しているだけあって、なかなか頭が切れる。確かに、障害男性の性的問題は、切実である。ただ、風俗店に同伴したりするのは、いかがなものかと思う。綺麗ごとでは、済まされないけれども、もっと違う手法があるのではないだろうか。本書の中で一番説得力があったのは、石田祐基さん。名前を聞いただけで知っている人は、ほとんどいない。しかし、「顔ニモマケズ」とういう本の表紙を見たら誰もが、すぐに分かる。石田祐基さんは、生まれつき、トリーチャー・コリンズ症候群とういう病気のため、顔に重度の障害がある。子供の頃から顔をジロジロ見られ大変つらい思いをしてきた。けれども、石田祐基さんは、底抜けに明るい。石田祐基さんは、次のように言う、「もしいま、僕が、イケメンの俳優のような見た目に変わるならば、また話は別かもしれない。だけど現実はそうではない。どんなに変えても、程度問題にすぎない。こういう問題は、いつまでもつきまとうのだ。そして理解が深まりつつある社会だとしても、自分に対する反応がゼロになるのを待っていたら、その時たぶん僕は生きていない。価値観や環境が変わるまでの時間は、あまりにも長い。だから、いまできることに注力した」と。地に足をついた、重みのある言葉である。他の障害者問題を語る人に欠けているのは、言葉が上滑りしているからだ。