孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

非認知能力は必要なのか?

「非認知能力」が、一種のブームになっている。知能検査では、測定できない能力で、「自己肯定感、自尊心、協調性、創造性」などが挙げられる。「非認知能力」の差が、将来の年収や社会的地位に影響するらしい。ノーベル賞を受賞したジェームス・j・ヘックマン博士の研究が、お墨付きを与えた。ただその実験結果だけを鵜呑みにするのは、いかがなものかと思う。よくよく考えれば、知能指数の高い子供が必ずしも、社会的に成功していないことぐらい分かるはずである。特に、現代のように高いコミュニケーション能力が、求められる社会では、いくら高学歴でも、社会に適応できない人たちを多々見受けられる。「意識高い系の」母親たちが、この「非認知能力」を我が子に身に付けさせてやりたいと、躍起になっていること程、馬鹿馬鹿しいことはない。挙句の果てには、「非認知能力」を育成するという名目で、教育産業が、独自のプログラムを作り始めたことだ。本末転倒も甚だしい。「非認知能力」の本質を把握していれば、第三者の手を借りずとも、親が、正しい子育てをしていれば、「非認知能力」も自然と身に付くものである。最近問題になっているのは、親の年収と学歴の相関関係である。東京大学の学生の親の60%が、世帯年収950万円以上であるというのは、驚きの結果だ。また、合格するのが、中高一貫の名門私立高校に独占されている。かつては、公立高校の方が優位だった。私立高校出身者だと、どうしても視野狭窄になりがちである。「非認知能力」という点で考えれば、公立高校出身の東大生の方が、伸びしろがあるのではないだろうか。政治の世界でも、二世議員松下政経塾の卒業生、官僚出身といった議員が増えている。週刊誌で、スキャンダルに晒される議員は、いずれも典型的なこれらのタイプに当てはまる。彼らこそ、「非認知能力」が低い人間の代表ではないかと思えてならない。それにしても、昨今の「何とか力」とうい安易な言葉が、持てはやされる風潮は、目に余るものがある。科学的な根拠のない、タームが喧伝され、注目を集めるのは、思考停止以外の何物でもない。