孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

精神障害者が語る恋愛とセックス

「障害者が語る恋愛と結婚とセックス」陰山正子、横山恵子編、明石書店を読む。過激的なタイトルにもかからず、内容は、常識的なもので、物足りない。そもそもこの本に登場して発言している、障害当事者は、症状が軽い。世の中には、もっと、困難を抱えてた精神障害者がいる。知的にも遅れがあり、自らの意思を言葉で表現できない。最近は、あけっぴろげに、自分は、心の病気であると主張することが、時代を先どる行為だと勘違いする人が、あまりにも多いように思えてならない。統合失調症にしろ双極性障害にしても、識別しにくい。かつては、外見から、明らかに、様子がおかしいから、「何かメンタルに問題にある人かな」という暗黙の合意のようなものがあった。しかし、ごく普通の人が、何らかの精神疾患を抱えていても、珍しくないようになった。ストレスフルな時代で、不適応が生じるのは、当然である。しかし、精神医療が、安易に人を病気にさせてしまっている気がしてならない。統合失調症は、慎重に診断するべきなのに、安易に診断してしまう。青年期において、少しでも、認知の歪みがあれば、すぐさま、統合失調症とういう病気と判断する。これは、非常に危険なことではないだろうか。「障害者の性」を語った本として、「セックスボランテイア」河合香織新潮文庫が、有名である。この本は、身体障害者が、性風俗を利用するという、踏み込んだ内容が、刺激的で、一躍ベストセラーになった。タブー視されてきたものに敢えて、挑戦するという姿勢が、評価されたのだろう。しかし、読んでいて不愉快極まりなかった。この著者が、心の根底で、障害者は、性風俗店でしか、女性と関係を持てないという偏見を持っていること。この著者のみならず、世間一般の人も、そのような、価値観を持っているに違いないだろう。編者が、イタリアの映画「人生ここにあり」を大絶賛している。精神障害者の性を、明るく、悪びれず、健康的に扱っているからだそうだ。最近の性教育の健全性にも通じる所がある。性を、明るく語ることが、果たして、良いことなのだろうか。正しい知識を教えることは、絶対必要なことである。しかし、秘めたる部分も残すとういう方が、より深みが増すのではないだろうか。文学や小説で、先人たちが、求めてきた創作の源泉は、そこにあるように思えてならない。障害者の性を論じるには、適度な距離感と思いやりが必要である。土足で人の心に踏み込むようなことは、あってはならない。