孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

1981年生まれの星野源にちょっと違和感

私は、星野源が嫌いだ。女優と結婚し、芸能界で、マルチな才能を発揮している嫉妬からではない。私と星野源が共通するのは、1981年生まれという点のみである。星野源は、今を時めく大スター。一方、私は、惨めなひきこもり。比べるだけで、石礫を投げられるぐらいに、批判されるだろう。しかし、星野源が、芸能界で、売れっ子になるのは、現代の空気感のようなものを象徴しているように思えてならない。特に、女子に、大変人気がある。ハイスペックなわけでも無いのに、好感を持たれやすいという点が、要である。世代論で、物事を論じたくない。しかし、同世代の人間として、星野源を見ていると思う所が多い。1981年生まれは、中途半端な世代である。団塊ジュニアでもない。ミレ二アル世代、Z世代からも離れている。敢えて、分類すれば、神戸の酒鬼薔薇西鉄バスジャック事件などの切れる17歳にカテゴライズされるだろう。中高年のひきこもりの平均年齢にも、該当しない。あらゆる意味で、透明な存在なのである。星野源は、意識的に、要領良く、立ち振る舞っていない。おそらく、素顔も良い人なのだろう。しかし、星野源に、無意識の勝者意識のようなものを感じてならない。私たちの学生時代には、スクールカーストという言葉が、浸透していなかった。しかし、そういったものが、今と変わることなく存在した。星野源は、顔が良いわけでもないが、断然、スークルカーストの上位層に所属していたに違いない。何事も器用に世渡りしていく知恵のようなものを確実に持っている。ひきこもりの私など、見習いたいぐらいだ。星野源は、文才もあると評価されているが、疑問符をつけたくなる。「そして生活はつづく」文春文庫という1冊を読んでみた。さして、面白いものでもなく、俳優の山崎努さんの方が、はるかに知性を感じさせる。ただ感心したのは、自分の駄目さ加減を、嘘偽りなく表現していることである。そこが、女子に人気なのかもしれない。演技もそんなに上手とは言い難い。昔の俳優さんが持つ、重厚さが全くない。軽いことが、万人受けする時代なのかもしれない。軽いといっても、チャラ男ではない、雰囲気。運と、時代の空気感が、星野源をスターダムにのし上げたのではないだろうか。