孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

性風俗サバイバル

性風俗サバイバル」坂爪真吾著、ちくま新書が、売れているらしい。著者の坂爪真吾氏の主張には、全く同意しかねる。氏は、これまで、性についての本を数多く書いてきた。そのどれもが、恋愛弱者の性の在り方について、言及したものである。最近は、性風俗に従事する女性の実態に迫ったものが多い。「性風俗サバイバル」は、コロナ渦で、性風俗業者が、持続化給付金の対象外になったことを批判した内容だと思う。ことさら読む気もしない。坂爪真吾氏は、風俗で働く人の無料生活相談を行う、「風テラス」を主宰している。何故、フェミニストたちは、性風俗に従事している女性の人権を過剰に擁護するのか。貧困で、生きるために、風俗で働いているという認識は、時代錯誤も甚だしい。大昔であれば、「苦界に身を沈める」といった言葉が、象徴するように、そういったことが、多々あった。いまどきは、そんな動機で、風俗で働こうとする、女性は、皆無ではないだろうか。風俗で働く女性は、短時間で、高級なお金を得ることが出来るからという、不純な動機が主である。そして、稼いだ、あぶく銭で、ホストに貢ぐ。紀州ドンファンの須藤容疑者が、その最たる例だ。風俗で働く女性よりも悲しいのは、そんな場所でしか、女性と関係を持つことができない、恋愛弱者の男性ではないのかと言いたい。坂爪真吾氏の著作「孤独とセックス」扶桑社新書では、夜の世界を「トレーニングジム」として活用するべきといった主張がなされている。ガールズバー、デリヘル、ソープとそれぞれ、異なったことをするが、お金で関係を持つことは、共通している。そういった場所で、女性とコミュニケーションをはかる練習をしろという意味だろうが、これほど馬鹿にしたことはない。似非恋愛関係なども存在しない、行為としての快楽だけが存在する。風俗を利用して、客が、帰った後に、「体が臭い、キモ過ぎ、」といった罵詈雑言が、飛び交っているのは、想像に難くない。そうしたことを知らずに、風俗に通っているいるとしたら、その男は、絶対モテないだろう。ただ、やむにやまれず、風俗で性欲を処理している男たちもいる。彼らの本音をもっと聞きたいものである。恋愛資本主義社会では、「顔」が全てである。恋愛や結婚において、女は、男の容姿を最大の選択肢にする。「ありえない」と女が男の顔を選別するように、最初から、恋愛という土俵に上げてもらえない男たちが、必然的に生まれてしまう。生涯未婚率の統計の数字でも分かるように、女は、有利な立場にある。何故なら、女は、多少、顔が悪くても、受け入れられるからだ。この男女間の非対称性こそ問題とするべきではないだろうか。