孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

マスクをつけて持久走、小学5年男児死亡

大阪府高槻市の小学校で、今年2月、体育の授業で、5年生の男子児童が、持久走をした後、死亡していたことが分かった。教諭は、「マスクを外してもいい」と伝えてたが、「感染など心配な人は、着けても良い」とも指導していた。児童は、走る前にマスクを着けていたが、保健室に運ばれた際には、マスクは、顎にかかっていたという。市教委は、「死亡との因果関係は、不明」と発表した。何とも痛ましい事件が起きてしまった。マスクが、直接の原因と判明していない段階である。この児童に持病があったのか。それとも、マスクを着けて、息苦しくなり、保健室に運ばれる時に、顎までマスクをずらしたのか。それにしても、4か月近く前の事故が、何故、今頃になって報道されるのか。この教師の、指示が、極めて曖昧なものである。「マスクを外しても外さなくても良い」という言葉は、不適切なものだ。子供であっても、マスクを外すことに抵抗を感じるだろう。自分だけマスクを外してはいけないと思うのは、当然である。たとえ、短距離を走る運動にしても、「マスクを外しなさい」と何故、統一した指示を下さなかったのか。この教師を責めるのは、あまりにも酷であるが。マスク警察なる言葉、この一年間で、聞き慣れたが、本当に嫌なものである。マスク着用をめぐって、様々なトラブルが発生している。大学准教授の男が、飲食店で、ある男性が、電話をする際にマスクを外していた様子に激怒し、トラブルになった。男は、このトラブル相手の会社を特定し、その会社に、無言電話や脅迫電話をしていた。この、准教授の執拗な行動は、個人の病理に還元しても良い問題なのか。同志社大学の中内一也教授の調査によると、「他人への感染防止」よりも「みんなが、マスクを着けているから」という理由の方が、上回った。いかに、人は、同調圧力に弱いかということである。よくよく考えれば、マスクを外しても良いと思われる場所でも、全ての人が、ぴったりとマスクを着けている有様は、異様である。人と違う行動を取ることが、リスキーであるため、皆と歩調を合わせる。人間心理として、最も合理的であるが、釈然としないものが残る。