孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

上原浩治さん容姿を差別した麻生千晶を批判するだけで済むのか?

コラムニスト麻生千晶の発言に、元プロ野球選手の上原浩治さんが、不快を示したことが、ネット上で話題になっている。麻生千晶は、「筆者は、彼の顔が苦手で、余り好意を持っていなかった。」「引退後の上原は、顔の美醜に関係なくなり、発言もしっかりしてきた」などとコメントした。上原さんは、それに対して、「ブサイクでも、野球頑張りました。好みは、人それぞれですが、それは、酒の席だけにしてください。」「これは、産んでくれた親に失礼だと思います」など反論した。確かに、麻生千晶の発言は、軽率で許されない。しかし、こうした、男性の容姿に対して、もっと露骨な差別をしている、女があまりにも多すぎる。2000年前後に、「イケメン」という言葉が使用されるようになった。ウキペディアでは、1990年代の中頃、ゲイ雑誌で使用され始めたと書き込まれている。古いテレビガイドを何百冊も持っているので、調べてみた。すると、2000年頃からが妥当と思う。個人的な私の生活史を振り返ってみると、2000年に大学に入学した。大学生活において、しきりに、「イケメン」という言葉を耳にするようになった。中学、高校時代には、「イケメン」という言葉を発する人がいなかったように思える。学校以外の場所、趣味で、色々な大人と出会う機会をあった。今、思い出しても間違いないと確信できる。「イケメン」という言葉は、2020年代に突入した現在でも当たり前のように使用されている。これは、異常なことではないだろうか。流行語の耐用年数は、たかだか数年である。例えば、「アベック」は、「カップル」になった。もし、いまだに、「アベック」という言葉を使用すれば、失笑を買うだろう。それだけに、男が、「美」を求められる時代になったという証である。「吉本不細工ランキング」、週刊女性の「抱かれたくない男ランキング」など、露骨な男性差別である。先ず、麻生千晶を批判する前に、即刻これらの企画を中止するべきだ。麻生千晶は、83歳という高齢である。この年代の女は、あまり男の顔について、とやかく言わない世代である。コラムニストとして、タレントを考察する上で、つい口をすべらしたのではないだろうか。擁護する訳ではないが、根底に、あまり露骨な男性差別があるとは、到底考えられない。もっと問題視するのは、日常生活に根差している、恋愛弱者男性への差別だ。不細工な男の存在を、恋愛対象として、「あり得ない」と語尾を上げる女がいる。いったい自分は、何様のつもりなのか。不細工な男を笑う前に、自分の顔を鏡で見て見ろと言いたい。だが、残念なことに、恋愛市場にあって、不細工な女であっても、必ずある男から選ばれる。男の場合は、そう簡単に事は運ばない。こういった理不尽な差別は、不可視なものとして位置づけられている。ジェンダー平等など理屈をこねる前に、恋愛弱者男性の絶望を想像するべきだ。