孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

森鴎外の子孫小堀鴎一郎先生と中高年のひきこもり

昨年の11月に、NHKのドキュメンタリーの番組で、「親の隣が自分の居場所 小堀先生と親子の日々」とういう番組が、放送された。森鴎外の子孫で、在宅医療に力を入れられている、小堀鷗一郎氏と患者の家族の日々を追ったものであったが、非常に現代的なテーマに言及していて、考えさせられた。小堀鴎一郎先生の略歴は、ウキペディアに詳しく書かれているが、凄いキャリアの持ち主のお方である。小堀鷗一郎先生の訪問する家に、無職の高齢のひきこもりが病気の親の隣に居る。彼らは、心を病んでいたり、どこか頼りない。テレビ番組のスタッフが、家に取材に来れば、普通は、ひきこもっていても、それなりの対処を取るはずである。しかし、彼らは、自分の世界に内閉していて、判断力が著しく衰えている。近年、高齢の親が病気になり、介護関係者が、家に出入りするようになり、長年ひきこもりの子供の存在が、明るみに出るケースが増加している。いわゆる80、50問題である。この番組の3組の家族は、その典型的パターンであって、一般化することは出来ない面もあると思う。小堀鷗一郎先生は、そんな息子たちに、まったく偏見を持たずに接していく。人を色眼鏡で見るということがない性格は、素晴らしいと感じた。世間の人は、「いい歳をして、無職なのは、どこかに問題があるからではないか」という、うがった物の見方をするのが常である。小堀鴎一郎先生が、俗っぽさとは、無縁なのは、やはり本当の知性と血筋の良さから来る所以ではないだろうか。この番組のプロデューサーは、次のように主張している、「年老いた親の看取りに彼らが、社会に見つけられなかった、生きがいや、やりがいを見出せたなら、それは、それで、生き方の選択肢として受け入れられる社会であってほしいと切に願う」と。ひきこもりの一人として、この見解には同意しかねる。確かに、中高年のひきこもりをめぐる状況はあまりにも厳しすぎる。しかし、人生を放棄することだけは、絶対あってはならないことだと思う。絶望の中にあっても、生きる意志だけは捨てるべきでない。圧倒的多数の人が送る人生の路線から、外れても、新たな生を模索することに、意味があるのだから。