孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

KKО、キモくて金のないおっさんに救いはあるのか

「KKO」という言葉がある。意味は、「キモくて、お金のないおっさん」のことである。所謂、ネットスラングであるが、何と不快な人を傷つける言葉であることか。昨日の、NEWSポストセブンとういネットニュースで、ある男性の記事が、紹介された。元保育士で、容姿差別に苦しむながら、今は、介護施設で働いているが、その施設の老人からも、顔のことで嫌な思いをさせられているそうだ。自らの人生を、「罰ゲームのような人生」と卑下する。この記事のインタビュアーは、日野百草という作家である。俳人でもあるが、最近は、「ドキュメント しくじり世代」「ルポ京アニを燃やした男」など、分野を広げている。ただこの記事、仮名で、どこまで、信憑性があるか分からない。容姿差別に苦しむなら敢えて、実名と顔をさらけだしてもらいたかった。この記事が、ルッキズムに抑圧され、声を上げられず、悩んでいる男性があまりにも多いという事を世間に知らしめる役割を果たせば良いのだが。おそらく、そうは、いかないだろう。かつて「個人的ことは政治的なこと」というフェミニズムのスローガンがあった。このスローガンが、今の時代、恋愛弱者男性を救う意味で、有効なものになってくるのではないだろうか。「恋愛ができない、結婚ができない」ということは、どこか自己責任に帰せられる傾向がある。「顔が悪くても、コミュ力磨けばいいとか、ファッションセンスを磨けばいいとか」そういったアドバイスは、まったく無意味なものである。「見た目が全て」という風潮が、ますますエスカレートしてきていること。そうした社会の病理を指摘する、学者なりジャーナリストがあまりにも少なすぎる。ひきこもり問題にしても、「ルッキズム」と全く無縁ではないこと。個人的に、ある地方自治団体のひきこもり支援に携わっている人に聞いたことがある。私は、「イケメンのひきこもりはいますか」と問うた。すると、その人は、お茶を濁し、「分かりません。私の知る範囲では」という極めて曖昧で、ごまかした返事をした。おそらく、「イケメンのひきこもり」など存在しないのだろう。そんな事は、分かりきったことであるが。ひきこもり支援者たち綺麗ごとごとを宣い、現実を隠蔽するのだろうか。あらゆる面で社会に適応できないで、ひきこもりになったり、自棄になり、犯罪を犯してしまうのは、大半が男性である。そうした男性のセーフティネットを構築するべきだ。