孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「爽やかなカフェの店員に感動した投書」を載せる朝日新聞の見識

今日は、喫茶店で、朝日新聞の投書「声」を読んでいたら、あまりにも馬鹿げた記事を見つけた。カフェで、高齢の女性が、体調を崩し、倒れて、救急車を呼ぶまでに、カフェの店員の対応が素晴らしかったといった内容だ。33歳の女の投書であるが、このようなくだらない記事を載せるとは、常識的に考えてあり得ない。おそらく「イケメン」でなければ、この女は感動しなかったに違いない。仮に、不細工な男の店員が、高齢の女性を介抱していたら、ささやかな日常生活の出来事として忘れ去られていただろう。まず、カフェの店員に、不細工な男は、絶対存在しない。私は、純喫茶が好きで、毎日新聞を読みに行く習慣がある。それ以外にも、スターバックスドトールコーヒーを頻繁に利用する。一店舗だけではなく、いくつもの店で時間をつぶす。暇を持て余しているように思われるが、喫茶店は、集中力を高めるには、貴重な空間である。喫茶店の男の店員は、ほぼ「イケメン」が多いように思える。その逆で、可愛い女の店員など見たことがない。この投書は、イマドキ女子の短絡的な思考回路を如実に体現している。ルッキズムを蔓延させているのは、女たちである。「男の顔を商品化」し、不細工な男は、人間扱いしない。えげつないまでの差別主義者であることに、社会が気づいていない。このように表現すると、お前は、「ミソジニー」かと反論されるかもしれない。私は、「ミソジニー」ではない。ある世代の女性から、価値観が著しく変質し続け、今に至っているように思えてならない。私の親の世代は、団塊の世代に該当し、従来の家族の価値観から解放された思われがちである。しかし、古い価値観も持ちつつ、バランスが取れている。団塊の世代以降の、新人類と呼ばれる年齢層から、おかしくなり始めたのではないだろうか。このような、投書を採用する、朝日新聞の学芸部の担当者は、何を考えているのだろうか。朝日新聞の「声」に投書する人は、自らを知的な市民と錯覚している。最近は、その投書欄の質の低下が甚だしい。朝日新聞の社説をそのまま要約しただけのもの、孫が成長して嬉しいといった自慢話など、読むに耐え得ない代物ばかりだ。「選択的夫婦別姓」や、「ジェンダーフリー」について書かかれた投書は、朝日新聞の「声」担当者のお気に入りのようである。だから、このような、「男の外見だけで中身まで判断してしまう」思慮の浅い投書を採用するのだろうか。