孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「ギフテッド」支援は親を勘違いさせるだけである

「ギフテッド」と呼ばれる、突出した才能に恵まれた子供の教育支援を文部科学省が検討し始めた。記憶力や言語能力、数学力などに優れながら、学校での学習で困難を抱えて、不登校になるケースが指摘されたきた。どんな才能を持つ子を、どう支援するか、有識者会議を設けて2年かけて検討する。そもそも「ギフテッド」とうい概念自体、非科学的で根拠のないものである。発達障害アスペルガーと診断された、子供の中に、天才的な才能を持つということは、以前からよく言われてきた。ただ、現実には、そういった子供は、ごく稀である。社会生活に適応できないけど、「自分の子供は、天才かもしれない」と誤った認識を持たせ、問題行動と向き合うことを避けさせるだけである。文部科学省は、いったい何を考えているのだろうか。格差社会で、学力が、二極化していると言われて久しい。年収の高い家庭と低い家庭では、歴然と学力に差があることは、統計を見ても明らかである。そうした、格差を解消することが先決ではないのか。近頃の文部科学省の政策は、一部のエリートを育てる教育にしか関心がないように思えてならない。「天才」というのは、何を指標にしているのか、はなはだ疑問である。知能検査の結果によるものなのか。小学生で大学受験の数学の問題を解けるようなことだとしたら、それらを「天才」と呼ぶのは不適切である。私が、個人的に天才だと思うのは、藤井聡太さんである。将棋のことは無知であるが、凄まじい集中力と先を見通す力。一流の棋士であれば、備わっているのだろうけれど、他の棋士とどこか違う部分がある。先ずは謙虚さと控えめな態度が好印象をもたらす。あの年齢で、取材陣に偉ぶることなく接するのは、人格的にも優れている証しではないだろうか。藤井聡太さんが子供の頃、モンテッソリー教育を受けたいたことが分かれば、真似をしたがる、親ばかな人たちが数多くいた。偶然、モンテッソリー教育を受けたいただけのことで、「天才」は外部の押し付けによって、生まれるものではない。藤井聡太さんは、高校に進学せずに、将棋一本に賭けることした。この決断力こそ素晴らしい。本当に勝負の世界で生きる人間にふさわしい特質を備えている。「ギフテッド」に対する支援がなされるようになると、学校で問題行動を起こしているのに、責任転嫁する親が増加してくるだろう。「自分の子供は天才だから、学校やクラスの子供たちが悪い」というふうに。本当の天才は、そんな野暮なことは絶対しないものである。