孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「マチズモ」を誤用してまで、政権批判したい武田砂鉄氏

「マチズモを削り取れ」とういう本を武田砂鉄氏が、上梓した。マチズモとは、男性優位といった意味のことだろうけれど。この本の内容は、読む前から想像できて、まったく読む気にもならない。今の社会が、女性に不利な社会であることを言いたいがために、「マチズモ」などと時代錯誤な言葉を引き出してくるのは、あまりにもセンスが悪すぎる。武田砂鉄氏は、今もっとも売れっ子の若手評論家の一人である。朝日新聞の書評をしたり、ラジオ出演まで幅広い活動は、かなり影響力がある。しかし、氏に対してどうしても、好印象を受けない。「紋切型社会」「芸能人寛容論」などの著作を読んでみると、その文章の行間から、不快なものを感じるからだ。着眼点は鋭いのだけれど、底意地の悪いのようなものが充満していて、文章を書いている、氏の人間性が見え隠れするように思えてならない。どんな高潔なことを主張しても、心に響いてこないのは、その辺にあるのかもしれない。武田砂鉄氏のスタンスは、政権を批判するという点では、一貫している。「マチズモを削り取れ」も、女性が現代社会において、不利な状況にあるのは、政権に原因があるとでも言いたいのだろう。朝日新聞をはじめ、女性の人権が蔑ろにされているという、行き過ぎた主張は目に余るものがある。選択的夫婦別姓ジェンダー平等をヒステリックに叫んでいる人たちの過剰さはとどまることを知らない。現実の社会を見渡せば、様々な局面で困難を強いられているのは、女性より男性であることにまったく気づいていない。いや、気づいても無視しているのだろう。社会に適応できずに、脱落して、孤立した男性たちに対する救済こそ、政府がしなければならないことである。今日も、選択的夫婦別姓の裁判について、とやかく、ケチをつけるカップルが、朝日新聞の朝刊に紹介されていた。年下のイケメン男を旦那にした、30代前半の女が、歯の浮くようなこと言っているのには、あきれ果てて、物も言えなかった。「マチズモ」については、女性を蔑視するという意味合いはないと思う。むしろ、女性を守ってやるとう、ポジティブな男らしさの方が大きいように感じられる。今や、「男らしさ」あるいは、「男気」など廃れていて、口に出せば、「女性蔑視」とされ兼ねない時代である。ただ単に、政権を批判することが、高度な言論活動だと錯覚している評論家が多すぎる。そうした人に限って、道端で倒れているホームレスのような、本当の社会的弱者に対して冷たい態度を取っているような気がしてならない。