孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

無実の罪で29年間刑務所に、末期がんの桜井昌司さんが今伝えたいこと

布川事件で雪冤を果たした、桜井昌司さんが、「俺の上にには空がある広い空が」マガジンハウスとういう本を出版した。布川事件は、1967年に茨城県利根町布川に住む62歳の大工の男性が殺害された事件である。犯行当時、素行不良者のリストから、桜井昌司さん、杉山卓男さんが、警察から目を付けられ、犯人にでっちあげられた。逮捕当時、桜井昌司さんは、20歳以後、過酷な人生を強いられる。1970年に、水戸地方裁判所で、無期懲役、1978年に上告棄却で、千葉刑務所に収監される。再審請求を繰り返し、2011年に、ようやく無罪が確定する。20歳で逮捕され、49歳で、仮釈放。無罪判決を得た時は、すでに、64歳。その壮絶な人生は、私たちの想像を絶する。詳しいことは、「ショージとタカオ」井出洋子、文芸春秋。または、その映画で知ることができる。仮釈放後は、働きながら、自らの潔白を訴え続ける。桜井昌司さんを支えたのは、何よりも奥様である。支援団体の団員であった、奥様は、桜井昌司さんに一目惚れする。当時離婚していて、子供たちが大きくなり、結婚を決意する。犯罪者と再婚することに、周囲から猛反発されるが、結婚の意思を曲げなかった。奥様と二人三脚で、無罪を勝ち取るのは、あまりにもドラマチックである。布川事件では、知人のズボンを盗んだとして、別件逮捕される。杉山卓男さんも同様に。桜井昌司さんと杉山卓男さんが、一緒にいるのを見たとういう目撃証人が表れたことが、2人を犯人であることを決定付ける。この目撃証人が、警察側の都合のいい事ばかり証言するのは、あまりにも不自然であり、警察の作為を感じてしまう。犯行現場から、指紋などの物的証拠など何も発見されていない。自白と目撃証言だけで、犯人にでっちあげられた、典型的な冤罪である。桜井昌司さんは、自白調書を作りあげた、3人の警察官を匿名で綴る。私は、この3人の警察官を実名で書いても良かったのではないかと思う。冤罪の大半は、警察官による、違法な取り調べによって生じる。最近では、滋賀県警によって、虚偽の自白をさせられた、西山美香さんが、その最たるものである。知的なハンディキャップに付け込んで、自白を強要した、警察官の名前は、ネット上で知ることが出来る。取り調べ室での、警察官らの人権蹂躙は、無くなる兆しがない。全ての事件に、取り調べの可視化を適用あるいは、弁護士立会いを義務付けるべきだ。刑務所を出所した桜井昌司さんに対する、地元の人たちの目はあまりにも冷たい。それに対して、桜井昌司さんは、次のように、言われている、「その時学んだんです。そうか、間違ったことでも納得できればいいのが世間なんだ、世間の中は残念ながら正しいことでは動いていないって。」何と深みのある言葉か。ステージ4の直腸癌の桜井昌司さんの戦いは、まだ終わっていない。