孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

宮根誠司だけではなく、不遜な態度の芸能人にオリンピックの不祥事を語る資格などない

宮根誠司が、「情報ライブミヤネ屋」で、国立競技場周辺から、リポートするディレクターに取った態度がネット上で批判されている。宮根誠司だけではないと思う。大物司会者が、番組スタッフに、パワハラまがいのことをするのは、常習的に行われているはずだ。亡くなった、やしきたかじんなどは、番組の中で、АDを「ボコボコにしばいた」と、自慢していた程である。週刊誌に取り上げられない限り、芸能人たちの素顔を知ることができない。しかし、よくテレビを見て、人間観察に長けた人であれば、彼らの意挙手一投足から、その人間性を推察できるはずである。そんな、大物芸能人たちが、今オリンピックの関係者の不適切発言に対して、辛口なコメントをしている。小山田圭吾の過去の「いじめ経験」に次いで、次は、小林賢太郎の「ユダヤ人大量虐殺を揶揄するコント」が炎上している。メディアは、大物芸能人が、どのような切り口で、この2人を批判するか、競って垂れ流している。小山田圭吾小林賢太郎、のしたことは、倫理的に絶対許されるものではない。しかし、同業の芸能人たちに、彼らのことを、とやかく言う資格などあるのか、はなはだ疑問である。「自分は、清廉潔白なのか、胸に手を当てて考えろと」言いたい気持ちにさせられる。坂上忍など、いったい何様のつもりなのか。私は、坂上忍がテレビに映っただけで、チャンネルを回してしまう。それぐらい、坂上忍が嫌いだ。「バイキング」では、スタッフへのパワハラ疑惑があったが、いつのまにか忘れさられた。「ブスは嫌い」などの不適切発言など、とかく問題のある人物であることは間違いない。子役上がりの芸能人は、質が悪と言われるが、その代表格である。その坂上忍までもが、今回の小山田圭吾の件について、発言しているのだ。芸能人など、自分の立ち位置を常に計算している人間である。そんな手合いが、政治や社会のことについて語ることが、トレンドとされるようになった。評論家や学者の、難しい言葉ではなく、庶民感覚を代弁してということらしいが。とんだ大間違いだと思う。お笑い芸人は、人を笑わすこと、俳優は、演技だけに専念して、政治や社会のことに口をはさむべきではない。やるのであれば、自らの笑いの中に社会風刺の効いた、ネタを盛り込むとか、もっと別の手法があると思う。