孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

みんなが結婚する社会は幸せなのか?幸福度格差について

プレジデント・オンラインで、拓殖大学の佐藤一磨準教授が、結婚と幸福度の関係について論じている。かつては、誰もが結婚できた、皆婚社会だと、未婚にある者がつらくなる、「未婚ペナルティ」が生じるとする。一方、現代のように、脱皆婚社会は、結婚という選択を以前よりも周囲の環境を気にせず、自分の意思で決めることができるので、昔より生きやすいと主張している。とんでもない、的外れな見解だと思う。著者は、労働経済学が専門の研究のようであるが、極めて、フェミニズム思想に近い発想で、結婚を論じてしまっている。生涯未婚率男性23%、女性14%という数字は異常としか考えられない。「未婚」という選択肢を主体的に選ぶ、独身貴族は、ごく少数の勝ち組である。彼らは、恋愛経験も豊富で、常に、付き合う相手がいる状態で、仕事とプライベートを謳歌している。そんな男性に合わせて、この佐藤一磨準教授の文章が書かれたようなものである。そこには、恋愛弱者男性の存在が、まったく視野に入っていない。未婚の男性の大半は、結婚を望んでいるのである。だから、これほどに、マッチングアプリが利用されているのではないだろうか。残念なことに、婚活の熾烈な競争で、多くの男たちが、脱落して、虚無的になり、「もう自分は、一生結婚などできない」と諦め、恋愛市場から去っていくのである。佐藤一磨教授は、皆婚時代の負の側面ばかりをしてきするが、皆婚時代こそ、社会がうまく機能していた事実を見逃している。お見合い結婚が、主であった時代は、まじめに働いてさえいれば、誰もが結婚できた。家同士の関係や、近所の世話役などの顔を立てるための結婚に、フェミニストは、女性の尊厳を奪うものだとして、糾弾し続けてきた。お見合いの席で、初めて見た、顔が、不細工であっても、かつての女性は、結婚に踏み切った。現代では考えられないことだ。極論すれば、「女が男の顔にとやかく、品定めする」ことが、結婚どころ恋愛できない男を大量生産するようになった。フェミニストが主張したことは、結果的に男性が生きづらい社会にさせたのではないだろうか。佐藤一磨準教授のように、リアルな恋愛弱者男性を無視したまま、結婚や恋愛を論じる学者、専門家、あるいは作家があまりにも多いように思えてならない。