孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

丸岡いずみに同情の余地なし 顔で男を選んだ女の結末

映画コメンテーターの有村昆とフリーアナウンサー丸岡いずみが、協議離婚した。有村昆の不倫が原因であることは言うまでもない。丸岡いずみは、コメントしたが、美辞麗句を並び立て、悲劇のヒロインを演じているように思えてならない。うつ病を体験したなどと、世間の同情を買おうとするのは、身勝手過ぎる。ネット上で、丸岡いずみを擁護する声が、大半なのがあまりにも残念だ。有村昆は、イケメンとは思わないが、所謂、「チャラ男」である。そのような男を選ぶ、丸岡いずみに、男を見る目がなかったと、手厳しく批判する声がないのが、イマドキの男女の恋愛感覚である。最近の芸能界のカップルを見ていると、何も考えずに、相手の顔だけで、結婚に踏み切っているパターンがあまりにも多い。芸能界のみならず、一般人もその傾向が強い。かつての大物女優さんは、絶対、顔だけで男を選ばなかった。映画監督、デイレクターと言った業種の人間と結婚するケースが多かった。それも、取り立てて、男前というより、むしろ醜男を敢えて選んでいて、余程深い愛情によって結ばれているのかと、考えさせられることが多かった。世代論で物事を単純化したくないが、ある世代から、恋愛や結婚において、「男の顔」が最優先事項になってしまった。顔が良い男を所有する感覚だけが先行し、そこには、深いエロス的関係が欠落している。彼女たちがしているのは、小学生の恋愛ごっこの域を超えない。本当の大人の男女の関係とは言い難い。バブル世代と重なる、新人類世代あたりから、その傾向が強くなり、現代にまで至っているように思えてならない。団塊の世代が、一番得をしたのではないだろうか。大学紛争では青春を謳歌し、就職してからは、バブルの恩恵を受けている。団塊の世代の男たちの中には、風貌が冴えないのに、美人の奥さんと結婚している人があまりにも多い。ある程度のランクの大学を卒業し、相手の女性を思いやる性格の持ち主であれば、モテたのではないだろうか。そもそも、団塊の世代の男が、自分の顔にコンプレックスを持つことは、ほとんどない。例外として、幻冬舎の社長である見城徹氏は、自分の外見に異常なまでに、コンプレックスを持っていて、それをバネにして、仕事に情熱を傾けたらしい。残念ながら、イマドキは、そうした逆転劇は望むことはできない。社会から、あるいは、自己意識から「非モテ」という烙印を押されてしまうと、自らの男性性を確立できず、暗い迷路を彷徨うだけである。