孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

リベラル化が「モテ格差」を生む原因なのか?

橘玲とういう作家の、「無理ゲー社会」がベストセラーになっている。この作家の「言ってはいけない残酷すぎる事実」新潮新書。「上級国民 下級国民」小学館新書。いずれも、新鮮味がなく、面白くなかった。リベラル化の進行によって、自分らしく生きられようになったことで、生きづらさを感じる人が増えている社会の構造を、ゲームにたとえ、無理ゲーと名付けたらしい。この本の中で、リベラル化によって、モテ格差が拡大し、男女のマッチングが難しくなったと指摘する。女性は、「ハイパーガミー」つまり自分よりも、学歴、収入、社会的地位の高い男性を求めるようになった。また、女性が高学歴化し、社会的な地位が上がって上昇婚が当たり前となった。マッチングアプリや婚活でも、一部の男性に人気が集中するなど、恋愛や結婚のハードルが高くなってきている。どうも、橘玲氏の意見には同意しかねる部分が多い。そもそも、女性は、上昇婚など求めてはいないのではないだろうか。結婚というものに対しても、特別な意識を持たない女性が多い。恋愛の延長で、とりあえず、結婚するかという軽い感覚しか持ち合わせていない。山口百恵の「秋桜」で歌われている、結婚前日に生まれ育った家を出る寂寥感などは、時代錯誤と一笑に付されるだろう。「結婚すれば、夫の家族の一員になるという価値観」を口にすれば、選択的夫婦別姓制度は、違憲であるという考え方がトレンドの現代では、大バッシングを受けるだろう。かつては、三高という言葉があった。高収入、高学歴、高身長。イマドキ女子は、これらを求めているとは、到底考えにくい。「やさしいひと」を結婚の条件に挙げるが、これほど質の悪いことはない。裏を返せば、自分の言いなりになってくれる、都合の良い男とういう意味ではないかと思う。イケメンを求めているわけではないが、不細工な男を生理的に絶対受け付けない、不寛容さこそもっと問題視するべきである。リベラル化とい難しい語句を持ち出すまでもなく、もっとイマドキ女子の生々しい姿に迫っていくほうが、「モテ格差」の原因が見えてくるのではないだろうか。