孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

甲子園で優勝した智辯和歌山の異常な校風

甲子園で兄弟対決した、智辯和歌山が、大絶賛されている。私は、この中学、高校の卒業者であるが、とんでもない学校であった。かなり前のことで今は、どうか知らない。公立学校でも体罰があるが、私たちが在籍していた当時、とんでもない、暴力的な教師が数多くいた。東京の一流の進学校に追いつくために、学校が徹底した管理教育を実践した。その結果、そこそこの進学校の仲間入りを果たすことに成功した。教師たちは、そのため徹底した管理教育を実践した。その憂さ晴らしとして、生徒たちへの体罰がなされたのではないだろうか。しかし、最近は、進学実績が低下してきている。ただ、防衛医科大学やその他国公立大学の医学部の合格数は、多い。朝は、般若心経を唱えさせられ、クラスは、成績順になっていた。修学旅行は、韓国である。文武両道というが、野球部は、高校からの、特別コースに所属していて、勉強とはまったく無縁である。一流大学に合格することに疑問を持たない人間は、中学、高校の6年間を勉強に捧げて、それなりの結果を出して卒業していく。しかし、学校のやり方に反発を感じたり、教師に目をつけられた者にとっては、居心地の悪い学校である。辞めていく人間も多くいたが、私は、せっかく、中学受験して入学したのだから、辞めるのはもったいないと思い、勉強はまったくしないで、趣味に没頭した。ただ今でも許せないのは、ある現代国語の教師である。私は、この現代文の教師に目をつけられたことが原因で勉強する気がなくなった。その現代文の教師は、自分は、ボクシングや空手を経験したことがあるといって、信じられないような、体罰を加えていた。おそらく、自分は、一流大学出身ではない、コンプレックスの裏返しではなかったかと、今では思う。中学1年生の時に、私が書いた作文をクラス全員の前で読み上げ、小さな、言葉の言い回しの間違いを誇張して、「日本語になっていない」と吐き捨てるように言った。それ以外でも、何かと因縁をつけてきた。私は、この、智辯和歌山中学に入学するまでは、優等生でまじめを絵に書いた小学生だった。この現代文の教師との出会いは、最悪なもので、その後の人生に大きく影響を与えた。甲子園で優勝したというが、野球のできる中学生を県外から集めてくる、私立のやり方には違和感を感じる。やはり、地元の子供たちが集まった公立高校に花を持たせたかった。高嶋監督は、以前、生徒に暴力を振るって謹慎処分を受けている。そうした、影の部分をうやむやにして、孫が出場するなどのエピソードで智辯和歌山高校を賛美するのは、いかかがなものかと思う。甲子園に関心ないが、どこかの高校が優勝したら、無条件にその学校を賛美するのは、日本人だけではないかと思う。そういった風潮に、全体主義的なものを感じて、非常に恐ろしい。智辯和歌山の優勝を見るにつれて、「悪が栄えたためしはない」は嘘ではないか。勧善懲悪は、夢物語だと思えてならない。