孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「親ガチャ」は科学的根拠のない言葉 親が立派でも子供は不出来とういうこともある。

「親ガチャ」とういうネットスラングが、若者の間で使用されている。その現象について、茂木健一郎や、ひろゆき、といったインフルエンサーたちが、持論を展開しているが、説得欠がなく、腑に落ちない。「親ガチャ」は、自分の両親や生まれた環境は選べないことを意味するようだ。こうした、遺伝と環境要因は、当然、子供の人生に大きく影響を与えるだろう。知能については、遺伝的な要素が強いとされている。しかし、知能指数の100%が、親の知能によって、決定づけられると、科学的に解明されたわけではない。親の職業と年収によって、学歴が左右されることは、以前から、教育学者の刈谷剛彦氏らが、警鐘を鳴らしてきた問題であり、既視感が強い。東京大学に合格する、親の年収や、社会的地位が高いというデータは、それを論証づけている。ただ、日本は学歴社会では無くなってきている。私個人の意見は、学歴社会の方が、若者たちが、余計なことに悩まさせる必要がないと思う。若者たちが、何よりも悩むのは、人間関係である。スクールカーストに象徴されるように、容姿やコミュニケーション能力が、クラス内の地位を決めてしまう。かつては、勉強ができる子供は、ある程度尊敬されて、カーストの下に置かれるとういうことは起こり得なかった。「親ガチャ」を肯定する論理は、自分の努力不足を何かに責任転嫁するものでしかない。親が、エリートであっても子供が失敗した事例が思い出された。まず1つ目は、2019年6月に農林水産省事務次官の父親が、ひきこもりの子供を殺害した事件。父親は、東京大学法学部を卒業して、農林水産省に入省したエリート官僚。息子は、私立中学に入学している。その私立中学の偏差値は高い。しかし、その後、いじめに遭い、人生がうまくいかなくなっていく。家庭内暴力は、日常的だったようである。小学校の運動会の声がうるさいと腹を立てて、息子は、暴言を吐いた。その様子から、3日前に川崎市で発生した通り魔事件のような犯罪を犯すのではないかと、不安になり刃物で息子を殺害してしまう。この事件は、高齢化したひきこもり家庭の問題として、社会的に考えられているが、違うと思う。エリートの家庭の病理として考えた方が妥当ではないだろうか。2つ目は、二階俊博幹事長の息子である。いい悪いは別として、二階俊博は、政治家として、頂点まで登りつめた。その息子たちには、まったくその血が受け継がれていない。緊急事態宣言中に、銀座のクラブで、酩酊状態の写真に撮られたのは、記憶に新しい。この息子は、非常に態度が悪く評判が悪い。実力もないのに、偉ぶり、地元の御坊市長選に出馬するも惨敗。親のコネだけで生活している、馬鹿息子である。おそらく、父親がエリートであったり、頭が良かっても、必ずしも社会に適応できるとは限らないのではないだろうか。むしろ、周囲の期待に押しつぶされてしまうことも多い。だから「親ガチャ」という言葉を安易に使う人たちに、違和感を感じてしまう。