孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

飯塚幸三被告は上級国民ではない もっと何をしても許される奴がいる

2019年の4月に東京、池袋で、2人が死亡、9人が重軽傷を負った、池袋暴走事故で、飯塚幸三被告を禁固5年にした、東京地裁の判決が確定した。この事件は、飯塚幸三被告が、通産省の技官を歴任し、2015年に、瑞宝重光章を受勲していたため、「上級国民」して、社会的にバッシングされた。また、被害者の夫である男性が、メディアで、家族を失った悲しみを訴えたため、飯塚幸三被告が、「血も涙もない極悪人かのように」報道された。この裁判においては、大がかりな弁護団も結成されないで、刑事弁護に不慣れな弁護士が、担当したそうである。もし、飯塚幸三被告が、上級国民であれば、万全の態勢で裁判に臨んだはずである。自宅には、「家を大爆破すると書かれた」紙が投げ込まれたり、街宣車や、ユーチューバーによる過激な抗議に加えて、嫌がらせもあった。下津健司裁判長は、事故原因として、ブレーキランプが点灯していなかったとの目撃言などを信用できると判断し、また警察やメーカーによる機能検査の結果から、「車の異常で暴走した可能性は、認められない」と指摘して、「車のシステム異常が原因とする」弁護側の主張を否定した。飯塚被告の認知能力の衰えが、ペダルを踏み間違えた理由か否かは、「証拠上明らかでない」と踏み込まなかった。車に欠陥はなかったけれど、90歳の飯塚被告の認知能力を無視した判決は、妥当なものとは思えない。飯塚被告のみならず、高齢ドライバーの運転について、もっと問題視するべきではなかったのか。ある年齢になれば、強制的に、免許を返納させる、法システムを確立させない限り、同じような悲劇が起こるだろう。被害者の悲しみを国民に印象付けて、上級国民という言葉を作り、面白おかしく事件を消費せた、メディアの功罪は大きいのではないだろうか。また、メディアの報道を鵜呑みにして、飯塚幸三被告を誹謗、中傷した日本人の群衆心理も恐ろしい。客観的に考えて、瑞宝重光章を受勲しただけで、上級国民とは言い難い。それだけの理由で、検察と警察が、事件をもみ消すことは絶対あり得ないことだ。むしろ、中村格警察庁長官になった件が証明するように、警察関係者の犯罪が、過去にどれだけ葬り去られてきたか。紀州ドンファンの捜査で、上京し、女性に盗撮して、暴行を加えた、和歌山県警捜査1課の巡査部長である讃岐真生は、不起訴となって、のうのうと生きている。讃岐真生は、3年前に、橋本市で、風呂場を覗いた、前科まで発覚している。犯罪を犯しても、警察組織に隠蔽してもらう、警察官こそが、上級国民であることを知るべきだ。