孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

上野千鶴子は何故「リケジョ」を擁護するのか?

最近の朝日新聞を読んでいると、女性の人権が、必要以上に擁護するべきといった記事を目にする。特に、大学の理科系において、若い女性の研究者、所謂、「リケジョ」が、研究室において、不当な仕打ちを受けているという記事が気になって仕方がない。上野千鶴子は、全面的に彼女たちを支援しているが、違和感を感じる。上野千鶴子は次のように発言している、「文系は、個人プレーができるが、理系は、共同研究に加わらないと、研究成果があげにくい、でも研究チームは、ほとんど男性ばかりの、ホモソーシャルな集団ですから、女性に対する排除と抑圧になります。」「女性は、圧倒的に少数派です。だからまずそのチームに入れてもらえない、入っても足手まといという扱いを受ける。深夜まで研究室にいたら、スカートをひきずり下されるとか、びっくりするような話を聞きました。」ホモソーシャルなどの時代錯誤な言葉を使うこと自体、時代の趨勢を読めていない。今どき、研究室において、ホモソーシャルな人間関係が成立しているとは到底考え難い。どこかの大学のラグビー部と勘違いしているのではないかと思うぐらい、意味不明だ。文系の学問も幅広く、独り黙々と文献を読み、論文を書いていたら良いというものではない。縦のつながり、横のつながりがあって、初めて、研究が成り立つ。上野千鶴子はタレント文化人であるから、最底辺に居る研究者たちの実態を知らずに、アカデミズムの世界のことを語っているように見受けられる。「リケジョ」たちが、結婚や出産で、不当な仕打ちを受けた経験談が語られるが、もっと不遇な人たちがいるという、想像力が欠けている。「リケジョ」の代名詞となった、小保方晴子の胡散臭さを世間の人は、どのように感じていいるのだろうか。「STАP細胞はあります」と嘘をつきながら、見苦しい言い訳をする始末。笹井芳樹氏が自殺しながら、自分が死の原因を作ったことに責任を感じない、厚かましさ。被害者性を強調して、自分たちの権利を主張する、「リケジョ」の神経には、ついていけない。