孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

膳場貴子 眞子さまの結婚「皇族の大衆化」「そりゃ揺らぐ」の珍発言

あれだけバッシングを受けていた、小室圭さんと眞子さまの結婚が祝福ムードに変わりつつあることに怒りを感じざるを得ない。2人を批判することが、「誹謗中傷」に当たると、リベラル派の人たちは、口をそろえて言うが果たしてそうだろうか。週刊誌がこれまで報じてきたことは、嘘ではないが、証拠を固める段階まで至らなかったのが、中途半端な結末を迎えることになったように思えてならない。特に、小室圭さんの母親の小室佳代さんの、遺族年金と傷病手当の不正受給。そして、反社会的勢力との関係。これについては、ジャーナリストの篠原常一郎氏が、東京地検刑事告発した。ただ、篠原常一郎氏のやり方には、問題も多く、賛成できない。元共産党員であるが、今は軍事評論家と称して、保守派のメディア媒体で言論活動している。様々なメディアが、小室圭さん、眞子さまを持ち上げる中、一番唖然としたのは、今日の夕方放送された、TBSの「報道特集」だ。キャスターを務めるジャーナリストの金平茂紀が、天皇制や昭和史の著述が多い、ノンフィクション作家の保坂正康氏を取材した。保坂氏は、「天皇は聖なる存在という側面があると思うが、そういうものと違って、私たちの日常の延長にあるペアである」とコメント。「小室圭さんと眞子さんの恋愛関係の中で聖なるものの存在が、崩壊していく、つまり私たちと同じじゃないか」「天皇という存在がここまで大衆化されていることへの反応」と語った。それを受けて、膳場貴子は、「時代とともに聖なる存在とされていたものが、大衆化してきたというものが肌感覚として実感がある。ただ国民の象徴としてある意味フイクション的な役割を担って来られた皇族が、ここまで生身の存在としてのさまざまな情報が飛び交って、それこそ大衆化が進んできますとシステムとしての安定性は、そりゃ揺らいでくるだろうなと思う」と指摘した。保坂正康氏の、「天皇は聖なる存在」という言葉は、天皇制を崇拝するひとたちの見解であって、民意を表したものではない。天皇の戦争責任について、全く触れずして、「天皇制」を語ること自体が、ナンセンスだ。膳場貴子の、「皇室が大衆化した」というのも大間違い。眞子さまが、出国までの仮住まいに、どうして、赤坂か青山で、家賃が80万円もする高級マンションをあてがわれるのか。一時金の1億4000万円を拒否したが、巨額の持参金が、与えられることは誰の目にも明らかだ。また、篠原常一郎氏の、告訴が、不受理ではなく、辺戻となった。東京地検が、小室佳代さんの告訴を受理するはずがない。依然として、「皇室」は、われわれ庶民とは、別世界の人間であり、「大衆化」とは程遠い存在にある。メディアが、眞子さまを擁護し始めたら、それに感化されてしまう。学者も生ぬるい理屈でもって、「皇室」を擁護する。リベラルを自任する学者なら、国民を惑わす、「天皇制」そのものを解体せよと、主張するべきではないのか。「全ては、眞子さまの、わがままから始まったと」、はっきりと断言する、まともな評論家がいないのが誠に残念だ。