孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

池袋通り魔殺人事件 造田博被告の悲しすぎる人生

1999年9月8日東急ハンズ池袋店前で、造田博被告が、「むかついた、ぶっ殺す」と叫ぶびながら、包丁と玄能で通行人を無差別に襲い、2人を殺害し、6人に重軽傷を負わせた。この池袋通り魔殺人事件は、社会に大きな震撼を与え、被告の造田博の私生活が、週刊誌やテレビで詳細に報道された。造田博の両親は、ギャンブルにおぼれ、借金を残して失踪する。造田博は、まじめで、努力家で、県下の進学校に合格するが、中退して、アルバイトを転々とする。どの仕事も長続きせずに、犯行当時は、新聞販売店で働いていた。「わし以外のまともな人が、ボケナス殺しとるけのお。わしもボケナスのアホを全部殺すけんのお。アホ今すぐ永遠じごくじゃけえの」というメモを残していたことから、多くの精神医学者や心理学者によって解釈がなされた。うまくいかない自分自身の人生を恨み、呪い、社会に憎悪を募らせていった、身勝手極まりない犯行であるとういうものである。確かに、造田博だけでなく、世の中には、もっと不幸な人がいる。しかし、造田博の人生を考えた時、身勝手極まりない犯行では、言い表せない、何かを感じてならない。造田博は、どん底の生活の中でも、アメリカに渡航して、教会の仕事を手伝うなど、必死になって、人生を切り開こうとしていた。小学校時代の同級生の女の子に好意を寄せて、彼女の実家を訪ねるが、その家族から冷たい態度を取られている。造田博が、恋愛妄想に取りつかれていたというが、事実を歪曲したものとしか思えない。一方的に、思いを寄せていたけれど、彼女との交際を実現できなかったという挫折が、この池袋通り魔事件の根底にあるのではないだろうか。東京拘置所で、造田博と30通近くの手紙をやり取りし、「池袋通り魔との往復書簡」という本を書いた、青沼陽一郎という作家がいる。青沼氏は、造田博を、徹底的に批判し、救いようがないと断罪している。思うに、造田博は、青沼氏に心を開かずに、偽りの姿だけを晒し続けたのではないだろうか。何の罪もない人を無差別に殺傷した、行為は絶対許されるものではない。しかし、造田博が背負わされた人生は、あまりにも大きく、本人にとっては、耐え難い苦しみではなかったかと思えてならない。