孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ぶれない生き方 元「叫ぶ詩人の会」ボーカルのドリアン助川さん 

ドリアン助川さんが、明治学院大学で教鞭をとっておられる。私は、高校生の時に、ドリアン助川さんの大ファンであった。メンバーの不祥事などあって、テレビに出ない時期が長く続いたが、最近また、活躍されるようになって、我が事のように嬉しい。思えば、高校時代、私は、ドリアン助川さんに対して、「この人は、ただのミュージシャンで終わらない人だなぁ」という思いを漠然と抱いた。深夜ラジオで若者に、支持されるカリスマはいつの時代でも存在する。ビートたけし伊集院光などが名前を挙げれば、枚挙に暇がない。ドリアン助川さんは、そんな彼らとは、明らかに一線を画していた。大半のタレントは、仕事の一環として番組を担当して、そこそこ視聴率を稼げば、次の仕事のステップアップに、つながるというような打算が見え隠れする。ドリアン助川さんは、純粋に、若者に関わろうとしていた。あれから20年経って、私は、今年40歳になってしまった。もう、若者という年齢ではない、人生の下り坂に差しかかっているのに、みっともない生き様を世間に晒している。ドリアン助川さんは、映画「あん」の原作である小説を書き、作家として認知され始めた。映画「あん」は、樹木希林の演技が光ったが、いまひとつ物足りない作品であった。おそらく、ドリアン助川さんの原作が、あまりにも素晴らしいので、映像化するには、相当の演出力のある映画監督でないと、鑑賞に耐えうる作品を完成できないと思う。河瀬直美監督は、力量不足。物語の終盤、こんな場面がある。主人公は、「私たちは、この世を観るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある」のだと。なんと、深みのある言葉であろうか。ドリアン助川さんの作品は、「社会から落ちこぼれた人間」に限りなくやさしいまなざしを向けたものが多い。現代は、「社会の役に立たない人」を排除していく、不寛容な社会である。そうした風潮に、政治的なスタンスで、異議申し立てする人が存在するが、およそ空疎なものである。何故ならば、正義を主張する、パフォーマンスで、自分が、社会的名声を得るための売名行為に過ぎないからだ。ドリアン助川さんは、決して声高々に、もっともらしい正論を主張しない。ミュージシャンあるいは芸人から作家になる人は、自分が、文化人になってしまった思い上がりがある。しかし、20年前、私が高校生の頃、魅了されて大ファンになった頃から、ドリアン助川さんは、何ひとつ変わっていない。思い上がりや、自惚れといったものがなく、自然体に生きる姿は痺れるくらい、格好良い。今後ともドリアン助川さんの活動から目が離せない。