孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

32歳で自ら命を絶った萩原慎一郎さん 生きづらい社会を詠んだ短歌は、やさしさに満ち溢れていた

2017年、萩原慎一郎さんが、32歳の若さで自ら命を絶った。その直後に、彼の句集である「滑走路」が、メディアで紹介されて、話題になった。萩原慎一郎さんの短歌は、やさしさに満ち溢れていて、多くの若者の共感を呼んだ。萩原慎一郎さんは、繊細すぎて、心の不調を抱えていた。東京の有名私立中学に入学したが、待ち受けていたのは、容赦のないいじめだっだ。野球部に入部するが、監督から怒鳴られて、おどおどする様子を部員たちが冷やかされたり、持ち物にいたずらをされるなどのいじめに遇い、深い心の傷を受ける。その後、通信制の大学を卒業し、27歳で非正規の仕事に就くが、うまくいかない。その頃に詠んだ句の中で印象的なのは、「ぼくも非正規 きみも非正規 秋が来て 牛丼屋にて 牛丼食べる」、「夜明けとは ぼくにとって 残酷だ 朝になっても 下っ端だから」など、自らの心情を率直に歌い上げていて、心に迫るものがある。高校2年生の時に、俵万智さんの短歌に出会い、「これなら自分でも書ける」と思い、創作活動を始める。萩原慎一郎さんにとって、短歌は、ままならない人生や社会に対して静かな怒りをぶつけるものだったのだろう。萩原慎一郎さんの短歌を、非正規社員という代名詞で解釈する、評論家がいるが、まったく違うと思う。いじめ、失恋など私的な感情を詠いながら、普遍性のあるテーマを内在していたから、多くの若者に支持されたように思えてならない。現代ほど、若者にとって、生きづらい社会はない。いじめ、ひきこもりなど社会に適応できないことが、自己責任のように問われてしまう。「いじめについても、いじめられる方が悪いからだ」というような容赦のない声を浴びせるような人間があまりにも多い。普通であることを過度に強制し、個性的な人間を排除する傾向がますます強くなってきている。異質な人間を受け入れる寛容さが、欠落した結果、社会に適応できずに、うつ病やひきこもりになってまうのではないだろうか。萩原慎一郎さんは、壊れそうな自分を短歌で支え続けた。これから活躍する頃に、自死を選んだことは、あまりにも無念だ。