孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「子供部屋おじさん」は男性蔑視の言葉 何故そうした現象が生まれるのか?

「子供部屋おじさん」というネットスラングがある。働いているが、両親と同居していて、子供部屋で過ごしている男性のことを指すものである。ひきこもりではなくて、働いているという点が、この言葉を考えるうえで、避けては通れない問題を含んでいる。結婚していない男性が、異常に増加したこと。そして、安い給料では、良い物件を探すのは困難なため、仕方なく親の家に住んでいるというケースが多いのではないだろうか。生涯未婚率が異常に高くなって、結婚どころか、恋愛すらできない時代に突入した。格差社会と言われて久しい。有識者は、「格差」を論じると、経済に重点を置いて肝心なことを見逃してしまいがちでる。現代社会で、何よりも問題なのは、「モテ格差」だ。「モテるかモテないか」がこれほど男性にとって、深刻な問題である時代はかつてなかった。日本は、大学を卒業して、就職し、働きさせすれば、結婚できるシステムが構築されていた。また、ある時代までは、恋愛結婚より、見合い結婚が主であった。「顔が悪い男」でも、結婚できたのは、そうしたシステムがうまく機能していたからである。しかし、バブルの頃から、女が男の顔を品定めするようになったため、見合い結婚が成立しなくなった。恋愛や結婚において、女が選択肢とするのは、「自分が好みの顔」になったといっても過言ではない。「自分が好みの顔」というのも、所謂、「男くさい顔」から、「ジャニーズのような中性的な顔」へと画一化してしまった。喩えれば、「小島よしお」的な顔が敬遠されて、「星野源」が一つのスタンダードな顔になってしまった。小島よしおは、昔の時代であったならば、普通より、上で、結構モテる顔ではないだろうか。文武両道で性格も良い。女たちは、「ジャニーズのような中性的な男」を所有したいのである。そこには、「人を愛する」といった純粋な気持ちなど存在しない。芸能界でも、普通の世界でも、そうした男性を商品のように見做す女がほとんどになった。恋愛弱者男性が、これほど多い世の中なのに、彼らの人権は、蔑ろにされている。私が、フェミニズムが大嫌いなのは、彼女たちは、女性の人権意識には敏感であるにもかかわらず、恋愛弱者男性の人権については、あまりにも鈍感すぎることだ。ジェンダーフリーや選択的夫婦別姓を訴えている女に限って、イケメンの夫や彼氏をちゃっかりと摑まえている。「子供部屋おじさん」のみならず、「中年童貞」「キモオタ」挙げればきりがないぐらいに、「男性蔑視」の言葉が氾濫している。「中年処女」などという言葉を作れば、フェミニストが、社会問題化して、大騒ぎになること間違いないだろう。こうした差別がまかり通る世の中は、おかしいのではないだろうか。