孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

日野町事件 「娘の嫁ぎ先ガタガタにしたろか」警察官たちから暴行され自白 残された家族は今も無罪を訴える

1984年12月滋賀県日野町内で、酒店を営む女性が、殺害されて、金庫が奪われた日野町事件。酒店の壺入の客だった、会社員の坂原弘さんが、警察から嫌疑をかけられて、任意の取り調べを受けて犯行を自白し逮捕された。阪原弘さんは、最初は、犯行を否認していたが、激しい警察の取り調べによって、自白してしまう。息子の坂原弘次さんは、「父ちゃんは、殴られても、蹴られても、自分がやったとは言わなかったけど、警察が娘の嫁ぎ先に行って、家の中、ガタガタにしたろかと言われて、どうにも我慢できんかった」と証言している。公判では、阪原弘さんは、事件当夜は、知り合い宅で飲酒して、寝入ってしまい翌朝に帰宅したとアリバイ証言をしたが、聞き入れられず、一審で、大津地方裁判所は、阪原弘さんに無期懲役を言い渡す。自白に不自然な点があまりにも多すぎるのに、裁判所は、出鱈目な事実認定をしたとしか言いようがない。5万円を奪ったというが、被害者宅の別の場所には、29万円があった。もし常連客である阪原弘さんが、真犯人であれば、そんなことは絶対しないだろう。再審で明らかになったのは、阪原弘さんが、盗んだ金庫を捨てた場所を警察官たちに導いたとされる、写真のネガに捏造の疑いが生じてきたことだ。このネガは、阪原さんが、山の入り口から登って、金庫を捨てた場所を警察官たちに導く様子を写し出しているように見える。しかし、再審の証拠調べによって、山を降りる途中の坂原弘さんを振り向かせて、撮影してことが明らかになった。金庫を捨てた場所を警察官に誘導することができたという、所謂「秘密の暴露」が成り立たなくなる。つまり、阪原弘さんの自白は、警察官たちの手によって作成された、虚偽の自白であるということだ。事件当時、娘たちは結婚したばかりで、「娘の嫁ぎ先をガタガタにしたろか」と警察官たちから脅迫された、阪原弘さんは、自分がやってもいない犯行を認めてしまったのだろう。2011年に阪原弘さんは、75歳で獄死する。阪原弘さんの無念は、察するに余りある。こうした、警察の違法な取り調べを絶対許すことはできない。留置場という代用監獄制度を利用して、精神的、肉体的に追い詰め、自白させるというのは、過去の冤罪事件を見ても、警察の常套手段になっている。その違法性を認めず、黙認する裁判所も冤罪に加担しているといっても過言ではない。日野町事件は、現在、息子の阪原弘次さんらが、再審請求を求めている。雪冤を果たせず、無念に死んでいった阪原弘さんのために、裁判所は、一刻も早く再審請求を認め、無罪判決を下すべきだ。