孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

焼き肉店立てこもり事件 犯人を「無敵の人」として断罪する権利があるのか?

代々木の焼肉店で、8日夜から3時間にわたて、男性店長が閉じ込められる事件が発生した。警視庁の特殊部隊が、閃光弾を投げ入れて、荒木秋冬容疑者を現行犯逮捕した。荒木秋冬容疑者は、「もう死にたい、どうすれば死ねるか考えていた時に、捕まって死刑になればいいと思った」と供述している。荒木秋冬容疑者は、2週間前に、長崎の実家から上京して、新宿中央公園付近で路上生活していた。最近立て続けに、自暴自棄になった容疑者が、不特定多数の人間を巻き込む、「劇場型犯罪」が発生している。こうした、「劇場型犯罪」について専門家の言説は、通り一遍なもので、まったく説得力がない。ひろゆきは、こうした犯罪を犯す人間のことを「無敵の人」と呼んでいる。世間の風潮も、ひろゆきと同じようなもので、「他者を巻き込むくらいなら、ひとりで死んでくれ」といったものが主になっている。被害者ならびにその家族のことを考えれば、そうした処罰感情が生まれても仕方がない面もある。しかし、一方的に、メディアが流す、被告人像を鵜吞みにして、断罪する権利など、私たちにはないのではないだろうか。今回の焼肉店立てこもり事件の容疑者である荒木秋冬容疑者についての、個人情報がネット上で公開されて、大バッシングされている。荒木秋冬容疑者が、甘やかされて育ったので、挫折に耐えられないであるとか。ネット上の断片的な情報をつなぎ合わせて、勝手に決めつける人たちの群衆心理は非常に危険なことだ。今回の事件は、人質を取って立てこもったもので、犠牲者が出ていない。それにもかかわらず、大罪を犯した者のように見做すのは、いかがなものかと思う。社会全体が不寛容になって、何もかも自己責任に帰する傾向がますます強くなっている。電車内、都会のビルで事件が発生すれば、設備の安全性が強調されているが、もっと議論しなければならないことがある。一度転落しても、再び起き上がることのできる寛容な社会づくりが、何よりの犯罪予防策ではないのかと言いたい。