孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

田園調布資産家殺人事件 被害者は生きていた?複雑怪奇な事件 人生を賭して無罪を訴える折山敏夫さん

1885年7月16日に、折山敏夫さんは、自ら経営するパブから出て、車に乗ろうとした時に、警視庁捜査4課の5人の警察官に逮捕された。容疑は、1980年に行方不明になっていた田園調布の資産家を殺害して、財産を乗っ取ったというものである。この事件は、あまりにも不可解な点が多い。折山敏夫さんは、当時不動産ブローカーをしていて、殺害された資産家の相談に乗っていた。資産家というけれど、実際は、金銭に困っていて、折山敏夫さんは、その対処策をアドバイスして、被害者から信頼されていた。警察は、最初から、若いのに、やり手である折山敏夫さんに目を付けて、犯人扱いしたのではないだろうか。折山敏夫さんは、4か月近く、警察の留置場で厳しい取り調べを受ける。殴る、蹴るなどの、違法な取り調べがなされたにもかかわらず、折山敏夫さんは、一貫して犯行を否認する。担当検事の「折山は、泣きながら自白した」という証言が、決定打となって、折山犯人説はより強固になっていく。この事件では、冤罪の典型である、警察の捏造をうかがわせる証拠がいくつかある。殺害された、資産には、台湾人の愛人がいた。その愛人と会う際には、折山敏夫さんの不動産事務所を介して連絡を取っていた。その記録から、折山敏夫さんの無実を証明する証拠が、切り取られていたことが判明した。無罪となる証拠を隠蔽するのは、警察の常套手段である。この記録と折山敏夫さんの自白とこの記録を照らし合わせると、被害者は、自白の犯行時間に生きていたことが分かる。身元不明の遺体の歯のレントゲンが、すり替えられたのではないかと弁護団は、指摘している。折山敏夫さんは、家族に迷惑をかけないと思い離婚を決意した。その当時の心境を次のように語っている、「また、明日から新学期が始まるというこの日に、夜逃げするように、姿を隠さざるを得なかった2人の息子のことを考えれば、あまりにも哀れで、胸が張り裂けそうになる。それでも、これから獄死しようとしている自分にとっては、家族に及ぶ迷惑を少しでも軽くできただろうかと、少しは、ほっとする」。犯人に仕立てあげられ、愛する家族と別れなければならなかった、折山敏夫さんの無念さは察するに余りある。裁判では有罪が確定し、折山敏夫さんは、20年間服役して、64歳で千葉刑務所を満期出所する。その後、自ら再審請求をする。逮捕された当時も、反抗を否認。刑務所から出所しても、一人で雪冤を果たそうとする情念は、折山敏夫さんが、真犯人でないことを一番証明していると思う。現在は、弁護団が結成されて、再審請求を求めている。出所してからは、元受刑者であることがばれて、何度も仕事を失う。そして、家族とも音信不通で、大田区の都営住宅で、弁当の配達をしながら、ひっそりと暮らしている。田園調布殺人事件は、弁護人も奇異と言わしめた程の複雑で、事実関係を明らかに証明しないと全容が掴めない事件である。それにもかかわらず、検察と警察が作り上げた、勝手なストーリーを認めてしまった裁判所の罪は大きい。一刻も早く、折山敏夫さんに、無罪判決を言い渡すべきだ。