孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

アフターコロナ時代は 吉田類的な生き方が見直されるのではないかと思う。芸能界でケンカの強さでは上位にノミネート必定 素手喧嘩最強説

「おじさん」たちの月9と呼ばれて、人気を博している番組がある。「吉田類の酒場放浪記」だ。私は、最近のテレビは、ほとんど、見ないが、この番組だけは、毎週欠かさずに見ている。吉田類という、胡散臭い、おっさんが、呂律が回らなくなって、酒を飲むだけの内容であるが、何とも言えない、郷愁と優しさを感じさせる。ひとえに、吉田類という強烈なキャラクターがそうさせているのだと思う。2003年に番組が、始まった頃は、全く注目されていなかった。この番組の認知度が、上がり始めたのは、2010年代に入ってからである。特に、2011年に東北で震災があって以降、ようやく世間の人に知られるようになった気がする。何時か、吉田類が、嵐の番組に出演したことがあったが、大爆笑が起こっていた。ただこの笑いは、嵐をはじめ芸能界の主流の人間たちが、名前も知られていない、胡散臭いだけの吉田類を馬鹿にして、笑っている感じがしてならなかった。嵐に言いたい。自分ひとりの力で、吉田類ほど、幅広い世代の人から笑いを取ることができるのか。「大手芸能事務所に庇護されて、大きな顔をするな」と言いたい。吉田類は、前職は、画家であったというが、その真偽は定かではない。全共闘世代で、早稲田大学の夜間部に在籍していたが、学生運動には全く関心がなかったと本人は何かのインタビューに答えていた。吉田類らしい。私の父の世代の人間は、学生時代に、「革命がどうのこうの」と大言壮語していても、就職して、すんなりと社会に適応して、バブルの恩恵を受けている。団塊の世代の容量の良さみたいなものが、私にはどうも釈然としない。吉田類は、決して、要領が良く、打算的に人生を送っていきたとは到底考えられない。貧しくても、自分の好きな事だけをし続けていたら、何時のまにか、テレビに出て、酒を飲んで、俳句を詠んでいたという、行き当たりばったりの感じが、たまらなく素敵な生き方に感じてならない。吉田類的な生き方。他人と比較しない、笑われても、自分の信念を貫く。富や名声を求めて、あくせく働かない。背伸びしない、「情けない自分」をあるがままに受け止める。こうした吉田類的な生き方こそ、新しいものとして受け入れられるべきだと思う。