孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

相田みつを 人々の心を癒す言葉の安っぽさ 「便所の神様」と批判して遺族から訴えられた小田嶋隆氏の批判は的を射てる

「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」は、相田みつをの最も有名な言葉である。相田みつをの言葉は、時代を超えて今も愛されている。芸能界でも、相田みつをファンが多い。相田みつをは、直球で、人の心に訴えてくる言葉を織りなす意味で天才的であるかもしれないが、私は、生理的に受けつけない。安易な言葉で勇気づけられない状況に立たされているからかもしれない。牧歌的な時代ならまだしも、何故これほど相田みつをの言葉が、世間で評価されるのだろうか。人生はそれほど捨てたものではないという楽観的な思考を持ちたがっているからではないかと思う。現実の自分を知りたくない。現実逃避させてくれるのが、相田みつをの言葉のように感じてならない。私は、人生がうまくいかない場合は、楽観的な思考より、より悲観的な思考を受け入れた方が良いと思う。相田みつをを徹底的に批判する作家がいる。小田嶋隆氏だ。野田佳彦氏が、民主党代表の演説で、相田みつをだ「どじょう」を引用したことがあった。「どじょうが、金魚のまねをすることねえんだよな」という言葉であるが。「どじょうは、金魚より劣っている」「しかし、金魚の真似をしなくても、どじょうは、どじょうの良さがある」といった意味であろうか。野田佳彦氏は、「自分は凡人であるが、どじょうのように、泥臭く、国民のために働く」という意図で発言したのだろう。小田嶋隆氏は、「政治家たるものが、自らのメッセージを発信するにあたって、相田みつを的な手法を用いることについては、やはり、残念な気持ちを抱かざるを得ない。相田みつを的な手法とは、具体的には、曖昧な、わかりやすさだ。そう、曖昧なわかりやすさ。最悪のプロバガンダだ。」と手厳しく批判した。小田嶋隆氏の批判は辛辣であるが、的を射ている。野田佳彦氏の演説は、どじょうに喩え、自分を低い位置に置きながら、人々の好感度を上げようとするもので、計算尽くされたものである。相田みつを愛する有名人に、権力志向の強い人間が多いのも事実である。小田嶋隆氏は、それ以前にも相田みつをを批判している。1997年月刊誌「諸君」で「便所の神様」と著して、書道家の経歴や兵役の有無など来歴に、事実誤認があるとして、遺族から名誉毀損で訴えられている。小田嶋隆氏の過激な表現活動には全く問題はないと思う。相田みつをの言葉は、一見してやさしさに満ち溢れているようであるが、空疎なもので、深い人間洞察から生まれたものではない。