孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

男はつらいよ 国民的アイドル 寅さんは童貞かインポテンスではないか? 山田洋次監督は弱者男性に非常に差別的

男はつらいよ」は、日本人なら誰でも知っていて、長きにわたって、愛されている映画である。今も毎週土曜日に再放送されている。渥美清演じる、「フーテンの寅さん」は、国民的アイドルでもある。寅さんが、マドンナに恋をして、失恋するというマンネリズムが、視聴者の獲得につながっているのだろう。一般的に「男はつらいよ」シリーズは、日本人の心の原風景を描き、郷愁を誘うというような見方がなされている。暴力的なシーンもなく、露骨なセックスシーンもなく、お茶の間で家族全員が、くつろいで鑑賞できる、ウエルドメイドな日本映画として広く認識されている。私は、そこに欺瞞を感じてならない。寅さんの片思いが、成就したことがない。毎回、寅さんは、マドンナに恋をして失恋することは、あらかじめ視聴者は分かっている。いわば、ひとりの男が、失恋する様を見て、喜んでいるのである。これは、非常に残酷なことではないだろうか。まず、寅さんにセックスの匂いがしないように思えてならない。マドンナに対するあまりにも純粋な態度は、寅さんが童貞ではないかという疑念を抱かせても不思議ではないということだ。中年男が持つ、所帯じみた所が全くない。そこに、山田洋次監督の作為があるのではと深読みしたくなる。寅さんは、香具師というやくざ稼業であるが、実質的には、無職の放浪者に過ぎない。根なし草のように、全国を旅する寅さんは、普通の人生からはぐれてしまった、人生落伍者である。現代社会に置き換えれば、ニートに近い部分がある。山田洋次監督の映画で「学校」という作品がある。夜間中学校を舞台にしたもので、真の教育とは何かなどを問いかけた社会的なテーマを扱っている。しかし、この映画もディテイールを見ていけば、不愉快な場面が少なからずある。私が、「学校」という作品が許せないと感じたのは、田中邦衛が演じる、「イノさん」という中年男の描き方だ。イノさんは、家庭の事情で学校に通えず、字が書けない。あることがきっかけで、夜間中学校に通い始める。イノさんは、必死になって字を学ぶ。そして、この映画のマドンナ的な存在である、竹下景子演じる田島先生に恋心を抱く。イノさんは、必死になって、覚えたての字で、田島先生に、ラブレターを送る。竹下景子演じる田島先生は、イノさんからラブレターをもらったことで途惑い、西田敏行演じる黒井先生に相談する。飲み屋で黒井先生は、イノさんにそのことを告げる。イノさんは、酒に酔って激怒する。そして、イノさんは、自分がコケにされたと思い、「あんたらは、仕事を休んでも、月給をもらえるけど、俺らは、仕事休んだら、明日から、オケラだよ、それでも同じ人間かよ」と絶叫する。その後、イノさんは体調が悪化して、ひとりで死んでいく。映画の最後に、イノさんの死について語り合う。私はこのシーンほど悪意に充ちたものはないと思う。イノさんは、大人の恋愛が分からないから、ラブレターを送ったのである。イノさんを演じた田中邦衛の演技力もあって、何とも言えない哀しみに圧倒させられた。「男はつらいよ」の寅さんと同じように、女性にとって、恋愛圏外の男が、告白して、自滅する様を、観客に見せる手法は、山田洋次監督の手法なのではないだろうか。不可視な差別を無意識裡に映画に投影するのは、やはり許せないと思う。