孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

宮崎学氏亡くなる キツネ目の男 グリコ森永重要参考人M 無頼を通した最後のアウトロー作家 

宮崎学氏が亡くなった。数年前に、テレビで拝見した時に、痩せておられたので、体調がすぐれないとは分かったが、まさか亡くなるとは思わずに、非常にショックを受けた。私が一番敬愛する作家であるが、宮崎学氏が亡くなられたことに世間は、あまり反応していないようである。ネット上でも話題にならず、今日の朝日新聞には、小さく死亡欄として扱われていた。私は、そのことに憤りを感じてならない。くだらないことや、馬鹿な芸能人が不倫したかどうかがネット上で、トレンドになるのが、今の時代なのかと。若い人は、宮崎学氏の存在を知らないのか。私は、1981年生まれで、ポスト団塊ジュニア世代に当たる。おそらく私と同世代の人間も、宮崎学氏の名前を知っていても、関心がないと思う。宮崎学氏は、京都のやくざの子供として生まれた。早稲田大学に入学して、学生運動に身を投じる。その後、週刊誌記者や解体屋などを経て、作家デビューするのが50歳を過ぎてである。しかし、宮崎学氏の名前を一躍有名にしたのは、グリコ森永事件で、重要参考人として警察からマークされたことである。犯人とおぼしき者のモンタージュ写真が、宮崎学氏が類似していたことや、逮捕歴があったことで、警察は、宮崎学氏を事情聴取したのであろう。そのことを逆手にとって、作家としてデビューを果たす所に、宮崎学氏らしい反骨精神とユーモラスがあると思う。机上の空論で、政権を批判する似非左翼人が多い現状にあって、宮崎学氏は、一貫して、反体制を貫き通した。警察タブー、同和タブー、など社会の聖域に切り込んでいった姿勢はもっと評価されるべきだと思う。特に、宮崎学氏の警察批判は、鋭利な刃物のように鋭く、警察権力の本質を射抜いていた。「警察官の犯罪白書」というストレート過ぎるタイトルであるが、これは、数多い宮崎学氏の著作の中でも、ベスト3に入るだろう。グリコ森永重要参考人と呼ばれるほどあって、警察のやり口を知り尽くしている。宮崎学氏は、「良識的市民」を非常に嫌悪した。私は、この宮崎学氏の思想に打ち震えた。「良識的市民」ほど、質の悪いものはない。「単純正義」に酔いしれている鈍感さ。「アウトロー」として、「肉体言語」で生きてきた宮崎学氏にとって、「良識的市民」の欺瞞が許せなかったのではないだろうか。その宮崎学氏は、論理的で頭脳明晰で、アカデニズムに身を置く中途半端な学者先生より知識量は豊富であった。やはり、学生運動の闘士としての経験と読書量に裏打ちされたものだろう。令和の時代に入って、「良識的市民」が目に余るほど跋扈しているように感じてならない。選択的夫婦別姓、性的マイノリティ、ジャンダー平等などを必要以上に提唱する。本当に社会が向き合わなければならない課題が置き去りにされてはいないか。私は常に、宮崎学氏なら、「どのように言ってくれるのかな」と期待していたが、もうかなわぬこととなった。