孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

本当の「オタク」も「マニア」もごくわずかしか存在しない 物事を深く極めることを敬遠する傾向が強くなってきた

「オタク」というと、ネガティブなイメージが非常に強い。太っていて、眼鏡をかけて、女子とコミュニケーションが取れないなど。これでもかというぐらい、侮蔑と差別の眼差しを送ることがなされてきた。しかし、実際の「オタク」は、そんな姿をしていないと思う。むしろ、知性溢れれて、物腰が柔らかで、別に不快な印象を与えないだろう。「オタク」という言葉の生みの親は、中森明夫氏である。コミックマーケットに集まるSF、漫画、アニメなどの若いファンが、互いに「オタク」と呼びあっていた現象を揶揄して付けたそうである。Wikipediaを見ると、様々な書き込みがなされている。卓八郎、岡田斗司夫といった、「オタク」と称して、メディアに露出して、自分の地位を確保した人たち。あるいは、ジャネレーションで、「オタク」を分類したもの。いずれも、「オタク」を考えるうえで少しは役に立つが、本質的なことに全く言及されていない。鉄道マニアのことを「鉄オタ」。アニメオタクのことを、「アニオタ」など呼ぶことが一般的に周知されている。ただ彼らを、本当の「オタク」とは思わない。「オタク」というのは、物事を深く掘り下げていく意味で、アカデミズムに近い部分がある。世間一般に「オタク」と称される人たちは、自分の好きな分野にかけては、専門家の知識を上回る程に勉強しているとは言い難い。果たして、そのレベルの見識で、彼らを「オタク」と呼べるだろうか。本当に「オタク」は、自分の好きなことを仕事にしている場合が多にしてある。学者、医者、ITエンジニア、作家、法律家など様々な分野に、本当の「オタク」と思われる人たちが紛れ込んでいるだろう。彼らは、自分のためが、人のためになっている意味で、非常に生活に生きがいを感じている。ただ、残念なことに、世間に理解されず、専門家顔負けの知識を持ちながら、社会から認められずに、不当な仕打ちを受けて、隠れるように生きている人たちが、少なからず存在すると思う。こうした人たちが、ネット上で発信しても、注目されずに、また負の回路に陥ってしまうのが残念でならない。何故なら、世間の人は、「本物」を見分ける力がないからだ。