孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「ソープへ行け」北方謙三の人生相談は今の時代に通用するか? 非モテ男子に適切なアドバイスする良き理解者不在の時代

かつて、作家の北方謙三が、週刊誌「ホットドッグプレス」の人生相談「試みの地平線」で若き男子たちの悩みに答えるというコーナーがあった。私は、1981年生まれなので、リアルタイムでその雑誌を読んだことがない。北方謙三といえば、ハードボイルド作家として有名である。豪放磊落なイメージは、作品をアピールする自己演出的な所が感じられてならない。喧嘩が強い肉体派を豪語するが、北方謙三が、実践でどのくらい強いかは全く分からない。人生相談の中で北方謙三が発した「ソープへ行け」という言葉が、格言のように若き男子の間で共有された。「ソープ」というのは、今は死語であるが、「風俗」のことである。うじうじ、くよくよ悩むのなら、「ソープ」に行って、「気持ちをすっきりしてこい」というマッチョ的な発想は、いかにも団塊の世代のものである。現代において、この種の発言をすれば、フェミニストたちから「女性の人権」を侵害したとして、糾弾されることは目に見えている。北方謙三の人生相談が人気を博したのは、性的なことで悩む若き男子たちに、綺麗ごとを排して、真摯に答えたからだと思う。時代が変わって、現代の若き男子たちも昔よりも、はるかに深刻に悩んでいることは間違いないだろう。恋愛や結婚ができない、所謂「非モテ」問題について様々な形で論じられている。しかし、どれを取っても、上っ面ばかりで、本質的な問題に触れようとしない。恋愛できない男は、「風俗店で、欲望を処理するということ」が、暗黙の了解となっている。これは、悲しいことだと私は、思う。女子と付き合えないから、お金でその種の店に通う。個人の自由であるが、そこには、「本当の愛情」によって、性的な行為がなされていない。エロス的な関係を構築することによって、性的行為にまで発展させるのが、恋愛だと、私は考えている。風俗店などで、働いている女子の中には、「ホスト」通いのために、短時間で、高額な金銭を稼ぐことが出来るという理由だけで、働いている手合いが多い。写真と実際のサービスをする女子が、全然違っている。これは、写真を加工したものである。文句を言うものなら、怖いお兄さんが出てくるだけだ。何故なら、風俗店は、暴力団の息がかかっているからである。結局は、風俗に行くことは、出鱈目な女子、暴力団に搾取されるに過ぎない。大半の男子が、非モテだと私は考えている。そうした時代に、北方謙三の「ソープへ行け」は何の意味もなさないだろう。もっと、違った形でアドバイスできる人が必要とされているが、それに答えられるほど、知性、感受性、やさしさを兼ね備えた人物が不在なのは残念だ。