孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

働けない 働かない おじさんは社会のお荷物なのか? 不寛容な社会 昔からそんな人たちは一定程度存在した

私は、今年で41歳になる中高年のひきこもりであるが、働く気持ちはあるが、ハローワークに行く気がしない。何故なら、ハロワークに行っても、自分の願う仕事がなく、不本意な仕事しかないからだ。「仕事を選んでる御身分か、お前は」という反論が返ってくるのは、承知であるが、「自分がしたくない仕事を無理してまで、する必要はない」と思っている。高齢化したひきこもりに対して、行政の支援は、「障害者手帳を交付させて、障害者の作業所で働かす」あるいは、「生活保護を受給させて、自立への一歩を当事者に踏み出させる」という、ありきたりなことしかなされていない。長期間、社会との接触を断った、「ひきこもり」が、普通の就労が出来る訳はないというのは、世間の常識であるが、ひきこもり支援者にも、そうした考えが共有されていることに関して、私は、違和感を感じてならない。ひきこもりと言っても、三者三様であり、中には、高学歴で、非常に優秀な者もいる。それを、他者が、ひきこもり当事者の意思を無視して、不本意な就労を押し付けることは絶対許されない。高齢化したひきこもり当事者に病名を付けることが、常識となっている。発達障害、それに続く、自閉症スペクトラム障害発達障害ブームは、一時期より鎮静化したが、いまだに「発達障害」が濫用されている。まず、知能テストを受けさせる。そうすると、動作性IQと言語性IQに大きな点数差があれば、発達に問題がありとして、発達障害と診断されてしまう。知能テストそのものに問題があるのに、これでは、誰がやっても、発達障害と診断されてしまう可能性が極めて高い。そもそも、発達障害は、「自閉症」に起因した病気である。「自閉症」は、全く周囲とのコミュニケーションが取れず、知能も低い。ひきこもりの中には、コミュ障と呼ばれる人たちも少なからずいるだろうが、精神疾患とまでは呼べない。過剰なコミュニ―ケーションが求められる社会そのものが、異常なのではないかと思う。統合失調症という診断も、精神科医の恣意的な解釈がなされて非常に危険だ。妄想や幻覚がない、「青年期における、起こりうる症状」を無理矢理、統合失調症の破瓜型と診断してしまう精神科医があまりにも多い。青年期における、「人生の悩みで、立ち往生して、ひきこもったこと」を精神病の一つとして、カテゴライズするのは、精神医療が「ひきこもり」という現象に無理解、無知によるものでしかないだろう。人格障害も、ひきこもりに対して付けられやすい病名である。ひきこもり者のある部分だけを拡大解釈して、「人格の障害」と診断するのは、ひきこもりを冒瀆する以外の何物でもない。何が何でも、ひきこもりを「精神の病気」にしたい支援現場の悪意が見て取れる。かつて村落共同体において、働かない人は、ある一定程度存在した。差別されながらも、不思議と共同体の中で受容されている面があった。おそらく、日本が貧しくても、人々の心が寛容であったからである。働かない、働けない人たちを、不逞の輩と見做す風潮が、近年ますます強くなってきている。働けない人は、今の即戦力を求める企業社会にとって不必要な存在でしかない。せめて、働けない人を白眼視しないで、ひとりの人間として、受け入れる社会になることを願うばかりだ。