孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

近畿大学「美人・美男図鑑」はルッキズム以外の何物でもない 三浦瑠璃は擁護するが、勉強も出来ず、顔も悪い学生の立場を全く視野に入れていない

近畿大学の「美男・美女図鑑」が、一部で話題になっている。詳細は、近畿大学が、大学入学案内のパンフレットに、「近畿大学美女図鑑・近畿大学美男図鑑」という記事を掲載した。これについて近畿大学の教職員組合が、疑問を呈したことが事の始まりである。三浦瑠璃は、フジテレビの「めざまし8」で次のように発言した、「コロナ禍の2年間で分かったのは、大学は、zoomで勉強するだけの場じゃない、社交の場でもあるし、そこで重要な出会いもある。私自身も夫と大学で知り合った。」「頭のいい大学の先生たちは、容姿差別ってすごい言うけれども、学力差別もある」「色んな能力がある。スポーツの能力や算数の能力もあれば、おしゃれに気を配って、そっちで輝きたいと思う人もいる」「女性アナウンサーって結構、ミスコン出身者も多いし、それはそれで、登竜門になって人前でしゃべることも含めて自信を自らにつけている」「容姿差別は、あるけどIQ差別だってあるし、サッカーできるできない差別もあるんだから、あまり押しつけるのはどうかなと思います」と。全くピント外れで、よくもこれだけ支離滅裂な見解を公共の電場で発言できるのかと腹立たしくなる。三浦瑠璃は、保守のスタンスを取りながら、フェミニズムに迎合するという思想的には一貫性がない。朝まで生テレビに出演し、一躍有名になり、今では様々な社会問題について論じるが、三浦瑠璃の発言で的を射たものがあった試しはない。今回の近畿大学の「美男・美女図鑑」の三浦瑠璃の発言は、同世代の人間として看過できない所があまりにも多すぎて許せない。コロナ禍で、大学の学び方が変化して、学生たちは戸惑っていることは紛れもない現実である。しかし、三浦瑠璃が言う、社交の場というのは、「コンパや何かで、彼氏、彼女を見つける」ことを指していて、zoomではない生身のコミュニケ―ションを意味していない。はっきり言って、日本の大学は、高偏差値の大学を除いて、4年間遊ぶ場所になっている。アルバイトと恋愛が、大学生の関心事で、それが上手くいった場合は、薔薇色の学生生活になる。三浦瑠璃は、東京大学時代に今の夫と出会い、学生結婚した。それについて他人がとやかく言う権利はないが、大学で彼女、彼氏を作れなかった恋愛弱者への配慮が欠けているように思えてならない。女子アナのミスコンを三浦瑠璃は肯定しているが、これも愚かなことである。容姿差別に関して、三浦瑠璃はまるで他人事のように発言しているが、今の時代は、「見た目がすべて」というルッキズムに老いも若きも支配されている。先日、「ナルシストな男が多すぎる」という記事を私は書いた。その中で、自分の顔を格好良いと言っていた男は、今回問題になっている近畿大学の学生であった。やはり、近畿大学の「美人・美男図鑑」は、そうした見た目だけで人を判断する風潮をより一層強固なものにすると思う。三浦瑠璃は、学生の多様な能力を尊重するべきと言う。これも全く現実の学生たちを知らなさ過ぎる。勉強ができるという学生は、ほんの一握りであって、大半は凡人である。また勉強はできないが、お洒落で恋愛が得意という学生もほんの一握りである。勉強も恋愛もできないで、コンプレックスに苛まれている学生たちは、近畿大学の「美人・美男図鑑」はどのように感じているだろうか。おそらく本音は絶対に出さないが、不快に感じているように思えてならない。