孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

普通のおばあさんが 障害のある子どもを差別するのが当たり前 障害者を罵倒しても平気 インクルーシブ社会など程遠い

先日、駅前のドトールコーヒーでコーヒーを飲んでいた時のことだ。隣に座ったおばあさんの集団が、障害のある小学生の子供の悪口を言っているのを耳にした。そのおばあさんたちは、コロナ禍であるにもかかわらず、長居して、大声で話す。以前から、厄介な客で、店員も注意しないのかと思っていたが。おばあさんたちが話している内容は、「バスで、知的障害のある子どもが、運転手さんに、自分が言いたいことをはっきりと伝えられなかった。」そのことに対して、「物も言えない、あんな子供を持った親は、可哀想である」といった趣旨のものであった。聞いていて、不愉快で仕方がなかった。以前にも、バスで、障害があり、落ち着いて座れない子供に、口汚く罵るバスの運転手を見たことがあった。このバスは、途中で養護学校があるので、その子供はそこに通っているのであろう。だとすれば、運転手は、顔見知りであり、その子供のの障害を理解してあげるぐらいの配慮をするべきなのに、暴言を吐く始末。おばあさんたちは、ごく普通の市民であり、孫もいて幸せな生活を送っているだろう。そうした普通の人間の口から、障害者を露骨に差別する言葉が出てくるのが、現代の日本社会だと思う。インクルーシブ社会やSDGsなど声高々に喧伝されているが、表面的なものに過ぎないと私は思う。インクルーシブは、異質な人間も受け入れるという意味がある。しかし、同質性、同一圧力の強い日本においては、最も実現し得ない概念である。障害のある人間を排除することによって、社会の秩序を維持できるとされてきた。障害のある子どもは、特殊学級養護学校などで、学ばすべきで、普通の子供と同程度の教育など到底不可能であるという差別と偏見が社会に根付いている。おばあさんたちが、言った「障害を持った子供の親は可哀想である」という言葉は、障害者差別の典型だと思う。障害を持った親は、苦労を抱えるが、不幸ではない。まして他人が、人の幸不幸を決める権利などない。普通のおばあさんが、障害者を当たり前のように罵倒する社会では、インクルーシブ社会など実現し得ないだろう。