孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「セルフネグレクト」は深刻な社会問題 自己責任を問われる時代では必然的に 落ちこぼれる人が生まれてくる

セルフネグレクト」という言葉がある。ゴミ屋敷に住んでいる住人やひきこもりなど生きる意欲を亡くした人のことを指す。精神疾患との関連が問われているが、時代の病理ではないだろうか。「セルフネグレクト」を日本語で訳すると、自己放棄という言葉がふさわしいように思える。以前、NHKが、「無縁社会」という番組を作り、「無縁社会」は、2010年度の流行語になった。しかし、東日本大震災が発生して、「無縁社会」という言葉がすっかり忘れ去られてしまった。その代わりに、東日本大震災によって「絆」という嘘くさい言葉が、一時期流行した。今では、すっかり耳にしなくなったが。「無縁社会」と「セルフネグレクト」は密接不可分な関係にある。無縁社会を生み出した最大の原因は、「誰もが結婚できない時代」になったことにあると私は、思う。農村と都市部では、家族の在り方が違ったけれども、「結婚できない」ということは考えられなかった。生涯未婚率が異常なまでに増加している、4人に1人が結婚できない時代である。このまま右肩上がりに上昇すると、3人に1人は結婚できない時代がもうすぐやって来る。これは、異常なことだと思う。かつては、働きさせすれば、男は誰もが結婚できた。そうした結婚の問題がまず一つ。次に、努力しても、報われない社会になったことだ。だから若者たちは、「親ガチャ」という言葉を使うのである。若者たちが使う「親ガチャ」と私が考えている「親ガチャ」には大きな乖離がある。私は、遺伝的な要素よりも、「人との出会いの運」がその人の人生を大きく決定づけると思う。知能指数は、親から全て遺伝する訳ではない。デタラメな統計に騙されている人があまりにも多い。勉強なんかは、ある程度、努力すれば、それなりの水準に到ることができる。しかし、「人との出会い」は、自分の力ではどうすることもできない。「パワハラ」「ブラック企業」が社会問題になっているが、全ての人間がそうしたことに巻き込まれるとは限らない。良き理解者に恵まれて、社会生活を送ることができる者もいれば、一方、悪い上司と同僚にばかり遭遇する人もある。知能、コミュニケーション能力が優れていても、偶然にそういう人とばかり遭遇してしまうことだってある。やはり、自分の力では、どうしようもない運命のようなものに抗うことができないと感じた時に人は、自暴自棄になっていくのではないだろうか。悲しいかな、そうして落ちこぼれた人に、自己責任論で「ダメな人間」と烙印を押すのが今の社会だと思う。