孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ひきこもりは頭が悪いのか? 生き延びる面において 最高のリスクヘッジであると思う

ひきこもりが社会問題化として20年以上が経過した。当初は、「ひきこもり」という言葉がトレンドとなるぐらいメデイアで「ひきこもり」について取り上げられていた。しかし、最近は、全く関心が持たれなくなってきた。ひきこもりが、偶然に事件を起こすとセンセーショナルな報道をするが、一時的なものですぐに忘れ去られる。その代わりに、「80・50」「90・60」問題が象徴するように、ひきこもりの高齢化が深刻な問題となり始めた。80歳、90歳という高齢の親がいつまでも、自立できないひきこもりの面倒を見る。金銭的に余裕がある裕福な家庭は良いが、普通の年金暮らしの家庭では、経済的に破綻してしまうケースが各地で起こっている。世間の反応は、何故中年になった子供を親が養わなければいけないのか。ただの甘えではないのか。世間体を気にして、外部の機関に相談できないのではないから、家族だけで悩みを抱えてしまっているのではないのか。このように高齢化したひきこもり当事者と家族を責める風潮が大半である。ここに世間の人のひきこもりに対する偏見と差別があると思う。親も子供も、散々悩み尽くし、外部の機関なりに相談しているが、出口が見えない迷路に迷い込んでいるために一朝一夕に解決できる問題ではない。統計からも分かるように、20年前にひきこもっていた人間が現在もひきこもっている。何故、彼らは、20年間もひきこもり続けるのか。「脱ひきこもり」した人間が、自らのひきこもり体験を講演したりする時にありがちなのは、「現在進行形でひきこもっている当事者」を上から目線で見てしまうことである。「まだ、お前は、ひきこもっているの?」という感情を少なからず持つ。自分は、運よく「脱ひきこもり」に成功して、アルバイトなり上手くいった者は、正社員として働いている。そんな彼らは、「自分は、彼らとは別人種であり、いまだにひきこもっているのは無能な人間」と思い上がった優越意識を持つ。果たして、「脱ひきこもり」できず、長期間ひきこもっている人間は頭が悪いのか。ひきこもりにも多種多様であるが、私は、「何もしないで、長期間ひきこもっている当事者」は、頭が悪いと思はない。ありとあらゆる不測の事態を想定して、「働かない」という選択肢を選んでいる。はっきり言って、今の御時世、割の良いアルバイトなど皆無に近い。自分の人生を「ブラック企業」に搾取されるぐらいなら、働かないのは最高のリスクヘッジである。せっかく「脱ひきこもり」しても、再び心身の不調をきたすケースも多い。一部の有識者が、「このままひきこもり続けると破滅する」といたずらに不安を煽る。しかし、働かず、ひきこもり続けても、「生存の意欲」させあれば、人間は生き延びられるものだと思う。