孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「オネエキャラ」で売り出す芸能人の胡散臭さ トランスジェンダーやLGBTQの人権が過度に擁護される風潮に便乗しているだけ

「オネエキャラ」で売り出している芸人が、あまりにも多い。かつては、そうしたキャラが持ち味であるのは限られていた。美輪明宏美川憲一、カル―セル麻紀という人ぐらいではないだろうか。しかし、最近は、数えきれないぐらいに、「オネエキャラ」で売り出す芸能人が増加してきた。彼らの中には、実際に、そうした特性を持っている場合もあるだろう。しかし、大半は、真偽定かではなく、自らを売り出す手段として、「オネエキャラ」を演じているように思えてならない。私は、そうした手を使ってまで、自らの芸能界でのポジションを維持するのは、邪道であると思う。「オネエキャラ」を演じるには、サンプルがある、人の真似をするだけで済む。本来「芸能」とは、そうした野暮なものではない。吉本のNSCという学校がある。ダウンタウンが一期であり、これまで何十期にわたって、有名芸能人を輩出してきた。お笑い好きの人間が、ウキぺデイアなどで、誰と誰が同期で、仲が良いなどと御丁寧に調べて書き込んでいるのを見ると、呆れ果て物も言えない。何故、お笑いタレントになるために学校に行かなければならないのか。人から教えられた「笑い」などは、本当の笑いではない。そうした時代だから、下積みを嫌がり、すぐに売れようとする。なかなか芸人として目が出ない場合に、手っ取り早く、「オネエキャラ」に転向するという戦略を立てるのだろう。「オネエキャラ」だと、目立つので、ディレクタなんかに注目されて、仕事をもらえるという打算が見え見えである。しかし、「オネエキャラ」で売り出す芸人が、これほど増加すると、競争率が激しくなってくるだろう。昔は、「おかま野郎」と、中性的な男性のことを呼んでも、何ら問題にならなかった。しかし、今の時代それをすれば、人権問題に発展するだろう。何故なら、トランスジェンダーやLGBTQと呼ばれる人の人権が過度に擁護されるようになったからだ。別に悪いこととは思わないが、もっと守らなければならない人たちの人権が蔑ろにされてしまっているような気がする。「オネエキャラ」で、売り出す芸人は、そうした社会の風潮に便乗しているだけである。芸人であれば、独自の芸で勝負するべきではないのかと思えてならない。